2007.06.17
体験教育レポートを読んで

佐藤さんの真剣そのものの取り組みや生き様に触れ、改めて思うことが多くありました。
子どもたちは、大人とは違い、知識や経験もありませんがそれだけに、直感が大変鋭いと思います。ですから、佐藤さんとの出会いでなにかを感じたことは確かです。
しかし、気がかりなのは彼らがまた日常の生活に戻ってゆき、豊実の体験をどれほど心に留めてゆくかということです。

先日、ある地方都市で、中学校の校長と3時間ほど話し込みました。
彼は国際交流の経験も豊富だということで青少年のためのアートプログラムにも、表向き理解を示している方でした。
しかし、彼の言葉によれば、この町の住民は、海外からとの交流に非常に消極的であり、自分の学校でも、外国人教師がいるが彼らは、他の先生たちから、あいさつの声すらかけられることなく孤立しているそうです。

この先生の話を聴きながら、言いようもない絶望感に襲われました。 
見た目とても立派で、教養があり、校長という高い立場にいる人がなぜか、日々の現実に対して、愛情や情熱のかけらもなく評論家的な立場でいることを痛感しました。
政府は「教育再生」などと言い、新たな法律や仕組みを考えているようです。
しかし、どんな制度も、教育の現場のひとりひとりの心のなかがすさんでいては、手の施しようがないと思いました。

しかし、冷静になってみるとこれは何かの予兆ではないかと考えるようになりました。
もう一度、私たち日本人が足元から自分たちのあり方に向き合うチャンスなのかもしれません。
政治家や官僚への不満があまりにも大きいために、私たちは、自分たちが日常の生活で、小さくともできることが数多くあることを見失っているのだと思います。

戦後日本人は経済復興にばかり、気をとられて心のあり方にあまりにも無頓着ではなかったかということが言えます。
ヨーロッパの人たちは、日本人ほど経済復興に懸命に取り組んだとは言えませんが、その分だけ、人間的な豊かさを育むことに力を入れてきたようにも思えます。
「ギリシャからの手紙」でも、仕事では実にいい加減な現地の人たちが人間としては、実に深く暖かい側面も持ち合わせていることがわかりました。

自分の出来ることを棚に上げて、不平不満を周囲にぶち上げることだけでは世の中、すこしもよくなりません。
そんな現状ですが、今の状態をスタート地点とすればこれ以上、悪くなることもありません。
半歩でも進めば、それは大きな進歩だと思います。
佐藤さんのレポートを読みながらそんなことを考えていました。
                                         (EUジャパンフェスト日本委員会事務局長・ 古木修治