2010.12.31
暮れの訪問者1
佐藤賢太郎

12月中旬、今年お出でになったあるNPO事務局の方から「仕事に疲れて、じっくり自分の人生を見つめ直すために、和彩館に12月29日から1月3日まで泊まりたい方がおりますが、受け入れ可能でしょうか。」と電話があった。

当日午後、私より一回り若い女性が新潟市内からやってきた。勿論私はどんな方か事前にお会いしての受け入れでした。NPOの方から事前にコスモ夢舞台のことを紹介されていたようで、どういうところなのか少し知っていたようでした。一人でゆっくりするにはふくろう会館が最適であると思いその準備をしておきました。彼女はこの環境に大変満足ようでした。

食事は自分でしますのでご心配要りませんということであったが、29日歓迎会として夕食を初対面なのに、和彩館でなく母屋、我が家の家でともにしました。夕食、豆乳、鱈なべ料理を家内がしてくれました。勿論、玄米菜食の食事です。彼女はそれをとても喜んでくれました。とても初対面の方とこうして夕食をすることは不思議ことである。出会い、縁と言うのでしょうか。

彼女はものすごく忙しい方で、自分で会社も作って、大学の講師や、各市町村にも健康指導員として働いているようでした。賢そうであり、こちらの話しに理解を示し、価値観を共有できる方とお見受けいたしました。その方にはお客としではなく、人生を語り合う人間として私たちは受け入れていました。

私は「コスモ夢舞台はこのような人との出会いを可能にするところでもある」と彼女に言った。 彼女が言うには、「阿賀町には何度も仕事で来ていましたが、自然も食もあり、人間として住むところとしてとっても好きなところでした、そして私は導かれて、ここに来たのでしょうか」と言います。

お互いに自分の歩んだ道や現在の生活や考えなどを語り合いました。その時刻は私にとって就寝時刻はとうに過ぎ12時まで語り合いました。家内も彼女との会話に未来に対する夢があり、是非一緒にやりましょうと希望を言いました。

彼女は今すぐ自分の生活をすれることはできないが、コスモ夢舞台と接点を持って自分の夢を実現したいと言っていました。また、わが子の教育や健康相談教室などの経験から、彼女のしてみたい教育や、コスモ夢舞台塾にとっても関心がありました。

私は「12年かけ仲間とこのコスモ夢舞台はハードを作ってきました。そしてその後3年間どのようにしたら地域社会に役立つのか奮闘しています。

今そのソフトが必要に入ってきた時です。しかしそれには人材がここに集まらなければ実現できないのです。今までのコスモ夢舞台のメンバーはわが人生において、貴重でめったにない逸材です。15年もこうして付き合える人間は、そんなに簡単には見つからないでしょう。

そうした素晴らしい仲間はいてもそれぞれ遠く離れた地で生活の基盤があり、限界もあります。しかし、あなたには私たちのメンバーにないものがあるように感じます。もしあなたが行動されたら、コスモ夢舞台共和国の原型ができると思いますね。」といった。彼女は「私は、お金はないけれど人的交流は持っています。コスモ夢舞台の宣伝ウーマンになるのかしら」などと笑顔で話してくれた。私は彼女が手がけている仕事をコスモ夢舞台プログラム、田んぼ夢舞台祭りや、田舎と都市を結ぶフォーラムなどに取り入れられることを感じました。

そして彼女は「指導員はしたい方も、私でなくともできる人は多い、しかしコスモ夢舞台を結ぶ仕事をする方はいない、そう思うと自分の人生のため、自分が本当に喜ぶことをしたい。」これはとても貴重な言葉であると感じた。私は会員のある方に同じことを言っていました。「あなたがいなくともそこは動いてゆく、しかしコスモ夢舞台はあなたがいないと成り立たない、そんなあなたは存在の方と私は思っています」と。

今している仕事が嫌だとは思わないが、これでいいのかと自問していると彼女は言っていた。既に小さなコスモ夢舞台グループホームの始まりのように思います。

コスモ夢舞台にはいろんな登場人物が現れます。実に面白い。私が生かされている時間、どれだけ人とともに夢を創り続けられるのか。暮れの訪問者はコスモ夢舞台の新しい芽になるのだろうか。それは次回の楽しみとして筆をおきます。