2011.01.04
暮れの訪問者2
佐藤賢太郎

昨年暮れの29日にやってきたIさんと夕食を共にする毎日となった。まったくの赤の他人が、こうして夕食をいただきながら自分の人生を語る。長年の友人でもない見ず知らずの他人が、我が家に入り込むことなど今までにないことである。こうして付き合うことに「お互いに不思議だね」といって話をする。

母は早く寝てしまうので三人で語り合う。彼女は一人で、4人の子供を一人で育てるために、何とか生きてゆかなければと自分の生きる道を見つけ、努力し今日に至っています。

そんな方であるからこそ私たちはそれぞれに生き方を語り合い理解し合うことができました。「私たちには子供もいません。ないということはマイナスではなく、むしろ、ないということで未来に夢を創ろうと思っています。
   
   その夢実現としてのコスモ夢舞台でもあります。つまり、ないことによって人とともに生きる形を残すことが人生であると明確になってきました。

   あなたも恵まれていないことがあったようですが、だからこそ普通の人にはない力が備わったのだと思います。ないことで自由に動けることもあります。恵まれていることで新しい生き方ができないこともあります。

   あなたは何を目指して生きようと考えていますか?」と私は尋ねました。また「Iさんから見て私たちは仲が良い夫婦というが、全然そうではないんです。ずーと喧嘩しっぱなしの人生で、良くぞここまで離婚しないでやってきたというくらいです。
   今日はあなたがいるから、こうして仲良いようにしているんです」と笑いながら話しました。我が家では、見ず知らずの他人様はカスガイです。

明日帰るという前日の晩ご飯は、玄米菜食で再び語り合った。「暮れから3日まで、主婦が家を空けて山籠りすることはできないものです。これは、あなたの行動力ですね。
   最近、私は一対一でこんなに長く話をしたことはありません」と言うと、彼女は「ラッキーでした」と素直にいう方でした。講演やカウンセラーなどをしていて理論もお持ちでしょうが、理窟なしの人柄が好印象でした。

さてこの出会いはどうなるか。はっきりしているのは、まず一度だけでも行動に移すことです。それは健康体操、ヨガや、歩行、その他資格を持った彼女の人的交流をテコに、和彩館の玄米菜食を食べ、自然を愛でるパックツアーの実施です。

過疎の地域再生は、このような切り口もあります。それは今までに出会わなかった方との出会いによるものです。

健康は誰にも関心深いことであります、運動と食とメンタルヘルス、自然鑑賞を含めたことを資源にする。それをまとめるには人間力なしにはできない。
   本を読み、他人から聞いて理屈で分かっていても、実行はほとんどできないものです。どこまでやれるかは分かりませんが、まず動くことです。そして、それを実行しようとしています。できなければ、また挑戦すればよいと思うのです。

家内も和彩館の食に玄米菜食を取り入れた新たなメニューに挑戦します。食は私たちの命がかかっていることであり、健康になることで玄米菜食の良さが証明できたらすごいことになります。

   この「暮れの訪問者」に関心や興味をもたれた方は、どうぞご意見をお寄せください。