2018.05.20
田植え
佐藤賢太郎

米のできるまでの過程を書きます。もちろん復活田圃の実践です。前にも申しましたが、米つくりを辞めた田んぼには、木々が繁茂し葦がはびこっていました。元の田んぼにするのに相当な努力が必要です。やり抜く気力がないとできません。昨年、木々の除去から始まりました。今年、米ができ、蛍が飛び交うか楽しみです。

蛍の時期はもうすぐです。多分今年は、飛ばないだろうと思います。しかし私には、必ず蛍が飛び交うという信念があります。私が理想の地域をつくる夢と同じです。この夢をもつことが、元気を保つ秘訣かもしれません。

 さて話を戻します。先祖は、林を開墾し新田をつくるまで、私の数倍も努力したことは容易に推察できます。

米は保存ができ、日本人にとって命を繋ぐ大切な食物でした。今でいえばお金のようなものです。しかし水がないところに田んぼは作れません。日本人は、水の出るところは全て田んぼにしました。どんな困難であろうとも田んぼにしました。その足跡を私は追いました。仲間も見たと思います。田んぼは、小さくて、遠方になって、とても不便で、それらの田んぼでは米作りを辞めてしまいました。

 私は食べていくには十分な田んぼがあります、しかし、理想や必要があって今年田圃を増やしています。人が集まるため、担い手が定着するために田んぼを復活しています。

 復活の田圃のごみを流し、田植えの準備が終わりました。「田植えは何時しますか」と三浦さんに聞くと、「明後日」と言いました。ところが雷のとどろく今日、知らぬ間に夕方田植えをしていました。 

三浦さんは「田植え終わったよ」と私に言います。私は慌てて田植えの写真を撮りました。最近のカメラは性能がいいので、暗くなっても写ります。