2011.10.22
進展する里山アート展
佐藤賢太郎

里山アート展が開幕した小春日和のある日、見学を兼ね会場の一角にビニールシートを敷いて楽しそうに食事をしている女性群がいた。 今年で8年目になる里山アート展、稚拙ながらよくぞ8年継続したものである。

アート展スタートの立ち上げ時は、ただ過疎の田園にアート作品を置こうとそれだけだった。やがて地域の方に親しんでいただこうと、里山アート展のオープニングイベントとして田んぼ夢舞台祭りを開催し、地元の方々に芸能参加をしていただきました。

その後、首都圏や県内の作家にも参加していただき、さらに小学生の参加など年々変化してきました。現在は主催者として、アートで何ができるのかを大きな焦点にしている。今年の具体的なテーマは循環、再生、創造である。

新潟県内では大地の芸術祭と称する大々的な野外展が行われているが、それ以外の各地でも野外展が開催されている。一言でいえば、アートによる地域おこしや人とひとの交流というところだろうか。 

アート展が一時の祭りのように閉じた後、果たしてその地域に何が残っていくだろうか。作家にとっての魅力は、公募展のような権威ある賞など一切ない発表の場に、作品展示を室内から野外に移すことで挑戦してみることであろうか。

多くの作家にとっては、メジャーでもない里山アート展は目先のメリットはほとんどないだろう。 

参加する作家は奇特な方である。作家は個人を自己顕示するためにあるのではないことを感じているのではないかと思う。作家はいったいアートに何の意義を感じて取り組んでいるのかを考えることになる。

そうして試行錯誤しながら継続しているなかで、ささやかながら私の主宰する里山アート展の取り組みに注目された社会芸術作家の吉田冨久一さん長谷川千賀子さんが3年前から里山アート展に参加されている。両氏は既成のアートから離れて目先のメリットなど考えず、アーティストとしてどうあるべきかを真摯に考え模索して、全力で生きている方です。

それこそ、アートで何ができるかを共有できる方でありました。

昨年、私は思い付きで田んぼに「もみ殻をまいて燃やす」アートを考えました。もみ殻が燃えるリアルタイムに時を刻む作品であり、時間を感じさせ、田舎の原風景も醸し出し、さらには燃え終わったら田んぼに帰す循環である。ここに吉田さんは長谷川さんと感じることがあったようで、自らそれを進化させようと今年作品を作りました。

吉田さんはなぜこのことに興味を持ったのか、それは現代のアートの在り方をも考えてのことであるのは言うまでもない。

私は里山アート展を作品そのものだけで評価しようとしているのでない。ビオトープを散策し(自然環境保全)と農とアートを愛でる。それに地元の芸能披露と、わずかながら地元の物産販売。私はこれらを一年一年積み重ね、地に根差したアート展にしたいと考えている。プロやアマの参加を通し地域に根差した総合的なアートを考える、これこそ作品である。

ここに参加してくださる作家は、こうした考えを是としなければなかなか参加は難しいだろう。公募展やその他さまざまな展覧会に出品するなど、作家の登竜門に価値をおく方とはここは全く別である。作家は参加しながら、得るものをご自身で感じてゆくものと思う。

里山アート展は会期が終わればそれでおしまいではない。静かながら動いている。毎年積み重ね会場を魅力あるものにしようと、葦に覆われてゆく田んぼを活かしてビオトープを作り、固定した作品も設置している。

この野外展は都市から参加する人がいて成り立つアート展でもある。万一その作家がいなくなっても一人でもしようと決意している。しかもプロ作家だけを対象としていない。小学生から素人まで、ワークショップを通してアートに対する楽しみの指導もしている。アートは創造する楽しみである。そして、地域に人的交流を含めた魅力ある田舎つくりを生み出す力になると確信している。

未曾有の大地震を経験した日本人は新たな価値を見出すことも必要であろう。そこにこそ創造的生き方が必要である。

結びとして、里山アート展は地道で稚拙ながらも次なる高い目標を掲げて取り組んでおります。目指すところを人の言葉を拝借して表現するなら、「人類の愛和と共生、人と自然の共生」となります。

今の自分に出来ることを精一杯実行するのみであります。