2013.10.27
アートと農
佐藤賢太郎

 「アートと農」は最近よく耳にするようになった。でも、それを実践している方はどれだけいるであろうか。

ともあれ里山アート展を継続して10年になる。スタート時からすれば、年々変化してきていると思う。何々賞が付くようなアート展でもないのに、よくここまで来たものです。入選も落選もない野外展覧会。 プロもいれば、サラリーマンンも、障害者、小学生、大学生も参加する野外アート展です。

 しかも会場は田圃。その点からも、農を無視して里山アート展は成り立たないはずである。地元の方に、里山アート展が認められる第一条件は収穫の良い田圃であろうと思います。そんな里山アート展を遠くから毎年見てくださる方々もいる。この展覧会はメジャーではないが、私はそんなことはどうでもいいと開き直っている。

 第一回里山アート展開催の時は、田圃の半分は葦や草がぼうぼうであった。そして、会場のJR磐越西線側は雑木が生えて景観がよくなかった。反対側の阿賀野川の岸辺はうっそうとした雑木で川が見えない状態であった。

アート展を開催するたびに、そのようなところを少しずつ整備してきた。深くて使えない田んぼは、池にしようと皆で汗を流した。そして、その池にメダカやタニシを放した。さらに田んぼを蛍が飛び交うところにしたいと思い、蛍の川をつくった。ホタルが生息するには一年中水が流れていなくてはならない。田んぼに水が必要でなくとも、きれいな水の流れがないと蛍は生息しない。里山アート展は同時に、ビオトープつくりでもあった。その結果、水田にはどの田んぼにもメダカが、トンボ、イナゴが生息し、蛍も舞うようになった。

 今まで自分の田んぼを人に作っていただいていたが、ついに私が自ら米つくりをすることになった。食は命、理想を語るだけでなく実行しようと無農薬の田圃作りが始まった。しかしそれは、雑草と稗との戦いであった。除草剤が使われないと、雑草はここぞとばかり伸び放題。稲を育てているのか稗を育てているのか分からないような米つくりは、もうできないと昨年は嘆いた。

 ところで、数年前から参加していた彫刻家の長谷川千賀子さんに誘われて、社会芸術と称する吉田冨久一さんが参加するようになった。初めは良く分からない存在であった。自分のやりたいアートの取り組みだといって遠路、里山アート展に足を運ぶ作家である。

3年前、私は一人で何点も制作しないと間に合わないと、田圃に籾を燃やしてそれを作品とした。燃えたあと煙が立つ、それも作品であると勝手に私が決めた。それを吉田冨久一さんは絶賛してくださった。これをヒントに、吉田さんは籾殻によるアートを里山アート展で考えたようである。

 籾は農家にとって厄介者になっていた。ところで、この籾を使って焼き物の作品を作ろうと埼玉大学準教授 石上城行さんは考えていた。そこで吉田冨久一さんは、いいところがあると里山アート展を紹介し、今年里山アート展に初参加する運びになった。

この機会をとらえ、大量に集まる籾で燻炭を作ることにした。燻炭は良い畑にするために大切なもので、買えば燻炭は一袋1000円以上するらしい。

実験作品は見事に完成した。そして燻炭も大量に作ることができた。勿論その燻炭を畑に混ぜてみた。果たして来年、どのような野菜ができるか楽しみである。里山アート展は、こうして見事にビオトープ、農とアートが接点をもつことになった。

 更に稲刈りを、コスモ夢舞台賛歌を歌いながら作業しようと思う。労働だけでなく、そこに歌を入れることだ。そして落穂ひろい。田んぼにはたくさんの落穂が残っている。“モッタイナイ”ものです。この落穂を袋に入れて和彩館に持ってきた方には、同量の玄米を差し上げることを思いついた。秋のひと時、作品鑑賞しながら落穂ひろいをする。そんなゆっくりした時を楽しむのもいい。見向きもされないただの田んぼが生きてくる。これも農とアートの接点である。

 今年黒米と題する作品を作った石彫家の佐治正大さんは小さな米粒をルーペで拡大し、大きな玄米作品を作った。一生懸命のモニュメントである。私は、その作品を設置したところに、来年黒米の田んぼを作ることにした。これもアートと農である。アートは造形するだけではなく、見えない創造力で生み出すものであると思う。