2013.08.19
学生の里山アート展参加で感じたこと
佐藤賢太郎 

今年も新潟大学グループホームが里山アート展の作品つくりに挑戦いたしました。参加した学生と夕食が終わって、一人一人に今回何を感じたか、どうして参加しようとしたのか質問をしました。つくることの楽しみ、できなかったことができるようになった達成感、仲間と協調する大切さ、食の楽しみ、私と家内に会いたかったそれぞれさまざまでした。そして職員の先生にも同様な質問をしましたが、意見をまとめるように「学生と同じようにかんじるところがありましたが、この暑い夏、私は自発的に出なく、立場上動いて、汗を流してみると得るものがありました。来てよかったと思います」と答えてくださいました。

さて私は、私の視点から感じたことを述べます。

1.大学生が里山アート展参加の受け入れで私の得るものは何か。それは、自分も喜び、多少ながら社会貢献につながる満足だろう。

大概の学生は収入に関係なく動ける立場にあり。言うまでもなく親がそれをカバーしてくれるからだ。しかし社会人になると生活が懸かってきて現金収入につながることが価値観の一番になってくる。

名声や金ではないことに価値を見出せるなら豊かな生き方であり、その価値をどれだけ学生に伝えることができるかどうかが鍵です。この受け入れも家内がいて仲間がいたからできることです。 

2.私は実践倫理を学んでいますが、家内が言うにはあなたは人間ができていないといつも指摘します。それはおいて置き、実践倫理を一言で言うと「自然の摂理に従って生きる」ということ。自然との共生であり、人間との共生である。具体的には朝早く起きる、夜は早く寝る。自然の法則に従った生き方をして、自分を反省、感謝する心を呼び戻すことにあろうかと思う。 

3.私は自由奔放、勝手気ままに生きている、それは周りが受け入れているからだと家内はいつも言う。しかし全く気ままかというとそうでもありません。他との共生がなければ夢も実現しなかったというのが実感です。家内の協力や、村との付き合い、仲間、作家、その他もろもろの人との付き合い。そして、その折り合いをどうつけるかです。制限の中で生きています。誰だって制限の中で生きています。 

4.人間は生まれたときから兄弟であっても皆違う、夫婦でも違う。自分と違う人間と、どう融合していけるかであろうか。

若い時こそ、自分との違う人間を避け、遮断してはいけない。若い時こそ苦手や違いに挑戦してみることだ。違いから得ることが実に多い。大学生は参加したことによって、私のような人と接し、普段使わない道具に触れるのも良い機会だと思う。そこに人間としての幅が生まれ価値観がその人の付加価値となる。 

5.学生は夜を徹して話してもよかろう、しかし周りへの配慮を忘れてはならない。学生の声になかなか寝付かれなかった。話したければ周りに影響を及ぼさない、そのような場所に行くことだ。私は世話になっている仲間や作家にも遠慮せずそのように条件を付けている。里山アート展に参加するならそうしていただくつもりです。

 6.前向きに生き、未来を背負う若者だからこそ、この出会いを通じて、より精神的に逞しい人間になっていただきたいと思う。作品つくり以外に学ぶところが多くあります。それを感じることが大切です。