2016.10.13
コスモ夢舞台の変化と脱皮
佐藤賢太郎 

ふくろう会からスタートし、NPO法人コスモ夢舞台となり、さらに今はコスモ夢舞台会員の高齢化で変化が起きています。その間、会員によって施設をリフォームし、数多くのイベントを開催、蛍の発生する自然環境整備にも着手してまいりました。しかし会員も確実に歳を重ね、それぞれのモチベーションも変化しているようにも感じます。

唯一継続しているのが里山アート展とそのイベントですが、それも、さまざまに対応しなければ開催できません。ところで、年々豊実に集まる外国人の若いウーファーが今年は多くなっていますが、この方々の力も十分生かさなければならなくなってきました。外国人がなぜこの過疎に来るのか、考えてみた方はいるでしょうか?

コスモ夢舞台の運営は多岐に及んでいて、誰でもできるものではないと思います。 

移住した古田浅吉さんが会員の皆様にお役に立ちたいと、野菜を作り、それを差し上げたいと言っていました。それは農業をしたことのない方の言うことです。野菜や米をつくることは、そんなに易しいことではありません。本人は今、それを実感していると思います。まして、野菜などの販売などはとんでもないことです。そうするのはチャレンジ精神、すぐ動くエネルギー必要だからです。

それよりこれから先、コスモ夢舞台を存続させるために自分は何ができ、自分がよりよく人生を生きるにはどうしたらよいかを考える方がより現実的です。  

やることは山ほどあります。私は事務は有志にお願いしていますが、里山アート展の準備、行政とのコンタクト、地元協賛企業への挨拶、米つくり、野菜つくり、生徒の受け入れ等々です。多忙だけれど元気になり、よりよく生きることを考えて実行しています。

私がここまで一生懸命になれたのは、生きることに理想や夢があるからです。里山アート展を13年も継続できる由縁であります。里山アート展は過疎に生きるための知恵であり、これからの若者たちに向ける提案でもあります。そして、里山アート展は障害者の皆さんの生きがいにもなっています。

夢や希望がないということは、私から見れば、精神的に老いているのだと思います。老いは必ずしもマイナスイメージではなく、老いは人間として経験で先が見えるということもあるはずです。

たわわに実る黄金色の田んぼに立ち、その足跡を振り返る時、このホームベースができたのも、仲間がいて、あるものを最後まで生かし、夢や希望があったからこそ、ここまで来たと確信します。