2017.12.28
インスピレーション
佐藤賢太郎 

今日、「人はいつしか死すべき存在である。この死によっていかに生きるべきか見えてくる」という言葉が目に止まりました。

私はこの言葉に同感できます。そして、人は誰もが仕合わせを求めて生きるものです。仕合わせはとは何か? その思いは人それぞれにしても、いつ、その気づきがあるのでしょうか。

 12月27日、雪の降る午前2時半頃、私は寒くて目が覚めた。少し早いかなと一瞬思った。しかしそれは、何かの気づき、閃きを与えられている、と思って起床した。

起きる前に、私は悪夢を見ていた。ところは東京のある画廊。私の個展であり、開催直前なのにオーナーとトラブルが起こった。そこで目が覚めたようです。困ったことも夢でよかった。

 こうして目が覚めて、私は今年の「里山アート展」の野外の構想に気づきを与えられました。ここからは現実です。それは、今までにない少し大胆ではありますが、舞です。しかし、私一人で決められません。三方の相手が了承してのことです。 

もう一つの気づきは、ハシゴを里山アート展の作品にしようと決めたことです。昨日ハシゴを造りました。これで、またまた作品が一点増えた。勿論、ハシゴだけではアートにならない。どこに置くかが大切だと思います。これ等がインスピレーションなのだろう。

 ところで、なぜハシゴを制作するのか? 雪国の冬は寒い。石油を使わず、薪ストーブで暖房しています。それで、薪を運ばねばなりません。クルマで運ぶためには、薪置き場の雪を溶かさねばなりません。そのため水を流す改良ホースの配管をしなければなりません。その配管にハシゴが必要なのです。ハシゴには私の命がかかっています。その上に、念のため安全ベルトをつけて用心します。

これがアートと生活です。このハシゴを里山アート展の作品にします。現場を見ないと、何だかわからないかもしれません。ハシゴは現場の田圃に移動します。

 もう里山アート展の作品つくりが始まっています。