2018.08.08
吉田麻希3
タイトル『賢太郎先生とマキ子さんの暮らし』

  お二人の朝は倫理の勉強会から始まります。

   私は、学び始めたばかりで、まだ教えを深く理解できておりませんが、教えの中でとても印象に残っていることがあります。それは、この世界には汚いものは何もないという考え方です。この勉強会で学び始めた当時、マキコさんは、毎朝トイレの便器の中を手で洗っていたそうです。この行為は、その考えの実践であります。

  そして、今のお二人の暮らしは、全てのものを無駄にせず使い切るということを心がけてらっしゃいます。廃材は、新たな資材として利用し、料理で出た生ゴミは畑の肥料や犬とヤギの餌になります。「汚いものなんてない」という考え方が発展して「無駄なものなんてない」という考え方に繋がっているのかもしれないと思うと、お二人はこれまで学ばれたこの倫理の勉強会の教えを暮らしで実践し続けてきたのだなと理解しました。

   私は、お二人と一緒に暮らして行く中で最近自分に対して感じた変化があります。それは、今まで見つけたらすぐ殺していた虫などをあまり殺さなくなったことです。特に、蜘蛛などは害虫を食べる虫であるため、これまで見た目が気持ち悪いからと見つけたらすぐ殺しておりましたが、最近ではいっそ育てて害虫を食べてもらおうという考えに変わりました。人間一人ができることは限られています。自然の摂理に溶け込むことで、他の生き物などの力を借りて生きて行くことも出来るのだなと思い、自然の中で暮らすことの奥深さをまた感じました。

   また、賢太郎先生の仕事場にはあらゆる所から出た廃材があります。賢太郎先生はこれまで、こういった廃材で家や小屋を建てたり、アート作品を作ってこられました。価値なしとされたものに価値を生み出しているのです。私はその行為は、豊かな心がなくてはできないことだと思います。なぜなら、常にあらゆる物に可能性を見出そうとイメージを膨らませるからです。一面的な見方だけでは何も生まれません。その物を多面的に見る力がなくてはいけないのだと思います。その為には、その物が持つ謂わば潜在能力のようなものを感じ取れる心持ちが必要です。その感じ取ろうとする気持ちのあり方が心の豊かさだと考えます。そして、そうした、賢太郎先生の豊かさを作っているのが、倫理の勉強会の教えなどであると思います。賢太郎先生が昔書かれた詩の最後の一文には次の言葉が書かれてありました。

「(豊実の自然と)目で会話する」

こういった姿勢が、賢太郎先生の心の豊かさを作っているのですね。

 「汚いものなんてない」

「全てのものを無駄にしない」

「価値なしとされたものに価値を見出す心の豊かさ」

 私も、廃材で作品を作らずにはいられません。

 記  :  吉田 麻希