2020.3.11
お墓に石像を
佐藤賢太郎

 彫刻家になってよかったこと。その一つは両親の石像をつくれたことです。その石像は展覧会に出品した作品です。今日、先祖代々のお墓などとして新調します。進歩的に、自分の好きな形でお墓を作る人もいますが、両親の石像を作る人はいないだろうと思う。これも父と母に対する私の敬意です。

 私は酒飲みで、父と生前あまり話はしなかった。改まって話をすることもなかった。母とは、家内と共に会津観音参りにたびたび行きました。両親とも学歴はありませんでしたが、私は両親に頭が上がりません。それは「子を思う親心」です。

 父は私がたびたび浪人したのに、苦労して大学を出してくれたものです。一度も受験をやめなさい、と言わなかった父を彫刻にしました。私が高校生のとき、父が新潟市に行くと聞いて、(中学の音楽の時間聴いたカルメンが好きで)ビゼーのカルメンのレコードを買ってきてくれと頼みました。その時の思い出を私は彫刻にしました。父は当然カルメンなど解らないのに、買ってくれた。父の子に対する愛情だろうと思う。
 母は、私が教師をやめて彫刻家になることをとても嘆いた。母は「塩でも舐めて暮せばいい」と嘆いた。それが晩年、母は「彫刻家になって良かったね」と言いました。その想い出に、田んぼのヘリに座る母の彫刻を作りました。

 私は普通ではないようで、国際アートフェスタのような、誰も考えられないところでイベントを開催します。大変な作業ですが、楽しいのです。
 話しをもどしますと、私の彫刻の師匠はお墓を作らせてくれました。「佐藤」の文字は父の書いた文字です。今年、お墓を磨いて文字が見えるようにします。これがお墓に対する私の思いです。