2017.09.03
作品になるかどうかの境
佐藤賢太郎

 予算の都合で、プロの作家作品ばかりを集められなくなった。そこで、アマチュアの参加者中心の展覧会になってきた。

アマチュアの方にとっては、得意ではない分野で、しかも限られた時間内で制作をすることは難しいと思う。しかしそのことによって、創作する楽しさや大切さをアマチュアの方にも考えて頂く機会になっている。 

私はギャラリーマスガで個展を行った。しかし、その売れ行きは画廊の期待するほどではなかったと思う。車の購入などで大金を使うのに比べ、例えば彫刻作品に大金を使うことは難しいということである。その方に、お金があって、感性があって、作品が初めて売れる。だから、アートだけで生活を成り立たせるのは大変難しい。

アート作家は、より善い作品についていつも考えている。それは大げさに言えば自分の人生をかけているともいえる。アマチュアの方は毎日考えているわけではない。

ある方が今年は、自分の思いのある写真で参加すると決めた。しかし、一枚の写真ではとても里山アート展の作品にならない。過去にも写真を展示していますが、コンパネに写真を貼っただけで、果たして里山アート展に耐えるだろうか。写真展に出品したら入選しますか? 写真を作品にすることは難しい。感性が要ります。時間もかかります。

 毎年写真を展示している方がいますが、私は里山アート展の実行委委員長として責任をもたなければなりません。そのため、大きな木材を組み合わせてその上に展示していただくことにしている。その作業は私がやります。ただし写真を展示する方が、それを潔く理解していただいたからこそ成り立つのです。それは信頼関係です。写真を見て、その裏を感じて頂いた方がどれだけいただろうか。写真展示を前回と同じで良いとは考えません。常に前進です。同じパターンで考えない。ステップアップしなければ惰性になって里山アート展は継続できないと思う。

 里山アート展の作品になるかどうかの境を、考えるのも楽しみの内であると思っている。それは、生きることに対する創作であるとも思っていま。