2015.09.25
私の思う「アートと生活」
佐藤賢太郎

里山アート展のテーマは、当初「アートで何ができるか」であり、第11回目から「アートと生活」に移行しました。

   この里山アート展は芸術性を競うものではなく、耕作田んぼや不耕起の田んぼの土地を会場に、独自のアート展を運営しています。

出品参加者は、小学生から大学生、障害者、一般、少数ですがプロ作家です。そして畦道を石畳やコンクリートで舗装して、障害者も車いすで、田んぼを周遊できるユニークな会場となっています。

少子高齢化、過疎化の著しいこの地で、都市と田舎の交流を図りながら開催する野外アート展は、それ自体「アートと生活」であります。そして里山アート展の継続によって、放置すれば荒廃する風景が美しく蘇り、蛍も生息するようになりました。これも私の考える「アートと生活」です。 

車いすの障害者は、なかなか田んぼを近くで見学することはできません。そして、プロの作家と共に参加することは稀だと思います。私は健常者として生まれ、これまで事故にも合わず、障害者のために何か貢献してきただろうか。その意味からも、彼らに活躍の場を提供でき、彼らが元気になることも「アートと生活」だと思います。そして何と言っても、全くアートの制作に縁がなかった一般の方がアートの意義、創造性、制作する楽しさを感じて頂くことが肝要です。

 この地域に集まる廃材を利用して生かす。私は参加する素人に一から十まで制作に責任をもってくださいとは言いません。そんなことを求めるならば参加できないでしょう。私がデザインやアイデアは出しますが、その制作中に自らが楽しさを発見して、作品に自分の想いを入れてゆく。また自ら提案する作品もそれだけではアートとしてどうかと思うならば、そこに踊りや音楽を加えて作品にする。あるいは、風景を取り入れて作品とする。しかもそれで、本人が元気になるきっかけをつかむ。それも、「アートと生活」だと思います。 

そして、我が家の玄関壁面に絵を描きましたが、集落においても信じがたいことであったと思います。突然、自分の価値観とは違うものを見せられて、違和感を覚えたかもしれません。しかし、それが集落の人びとにとって新しい風となることを願っております。

また、造形として残らない炭焼きの行為そのものや、「思い」というものも、里山アート展の作品です。失われたものを思い出し、その大切さや価値を再発見することも「アートと生活」のテーマ内容に即した結果ではないでしょうか。