2009.11.18
さわやかな里山アート展閉会式
佐藤賢太郎

今、豊実は路や山々に落ち葉が舞いちり、錦じゅうたんのように敷かれ、静かな雪の冬を迎える頃となりました。里山アート展が11月10日で終了して、今年も終わったと実感します。もの寂しさを感じますが、それは来年に向かう充填の大切な期間でも有ります。私は走りに走った一年、また来年に向け夢を充填する季節を前にさわやかな小学校の里山アート展閉会式に招いていただきました。

「日出谷っ子タワー」を作った作家の間地紀以子さんが、里山アート展の終了に作品を燃やすので、焼き芋会をしませんかと小学校に話かけた。11月18日当日は雨で、里山アート展会場ではできなくなり、日出谷小学校を訪問することになりました。
   当初、間地紀以子さんと佐治さんが訪問されることになっていましたが、今回は主宰者である地元の私も是非にということで一緒に訪問することになりなりました。

校長先生はじめ職員の皆様が暖かく迎えてくださいました。生徒と行なう里山アート展閉会式の前に、私は校長先生に里山アート展の参加に学校や生徒はどのように感じていただいたかお尋ねいたしました。
   校長先生は「子供たちは喜んでいました。こんな機会はなかなかありません。間地紀以子さん佐治さんには感謝しています。このようなことが教育として継続すると良いですね」と大要このように答えてくださいました。
   会場に入ると、1,2年一列、3,4年一列、5,6年一列の長机に座った全校36名の生徒が拍手で迎えてくれました。

さて、閉会式前に焼き芋会ならぬふかし芋会となり、生徒たちが育てたと言う芋を食べることになった。間地紀以子さんと佐治さんは子供たちに飲み物をプレゼントしてくださり、子供たちは大喜びであった。

芋を食べた後、いろいろな出し物が用意された閉会式が開催された。1,2年は生活の時間に作ったという自作の発表を一人ひとり行なった。3,4年生は「里山アート展に参加して」というテーマで川柳を、一枚の画用紙に絵を描いて一人ひとり発表した。これがとてもよかった。子供たちが里山アート展に参加して喜んでいる心が、私たちに伝わってきた。5,6年生は、高音、中音、低音の3部合唱で歌ってくれた。これも心にしみ渡る歌であった。           

そして最後は全校36名で「里の秋」を合唱してくれたが、たいへん素晴らしかった。先生たちの指導でしょうが、私の心がさわやかに洗われる思いになった。しばらく学校に行ったことがなかったが、間地紀以子さんと佐治さんが如何して熱心に生徒たちと作品つくりをするのか少し解かったような気がした。

それから、間地紀以子さんの勧めで私が代表して挨拶することになりました。
   「素晴らしい里山アート展の閉会式にご招待していただきありがとうございました。今は、皆さんの素晴らしい発表に心がさわやかになりました。川柳にその参加の喜びを感じました。今回、皆さんが参加して一緒に作った作品が一番目立って見えました。里山アート展に参加したことで自分の描いた作品が展示され、夢をもつことができたと思いますが、夢をもって生きることは大切です。この経験をあたためてください。この里山アート展に参加できたのは、間地紀以子さんと佐冶さんの並々ならない努力、そして校長先生のお陰です。こらからも参加してください、ありがとうございました」と申しました。

   最後に校長先生から「皆さんは今、輝いた眼をしています。作家の先生とは、4月に学校へお出でいただいたときから、どのように何を作るかと何度も話し合いました。作品をつくるという過程も学びました。間地紀以子さん、佐治さん、佐藤さんありがとうございました」と感謝の言葉をいただき閉会となりました。私たちの車がでるまでお見送りしてくださいました。

振り返り思うことは、生徒たちにこの素晴らしい機会を作っていただけたのは、間地紀以子さんと佐治さんの熱意です。この2人がいなければ、小学校への参加呼びかけはなかったでしょう。そして新しいことに踏み切る英断、受け容れてくれる校長先生がいたことです。

成果としては、生徒が学校で行なわれる文化祭とは違ったプロも参加する里山アート展に参加、見学ができたことです。いつか将来、人生のいろいろな選択のときに、この経験が必ず生きてくるでしょう。そしてさらに、地元児童生徒の参加が地域に対して素晴らしい一体感を生み出す力になったことも大きな収穫です。

生徒たちの合唱を聴きながら、あの「エレルヘイン合唱団」や「写真ワークショップ」のことを思い出していました。別れ際に先生たちにエレルヘイン来訪の話をすると、「新聞でしか情報が入ってこなかった、そのことを知っていたら行きたかった」との声もありました。校長先生もそのような機会があったら外国人との交流を経験させたいと意欲的でした。

時間はかかりますが、こうして学校との意思疎通が出来上がってくることを感じて帰ってまいりました。私ができないことを間地紀以子さんと佐治さんが切り開いてくださいました。