2010.08.07
作品・石舞台
佐藤賢太郎

今年は異常なほど毎日猛暑が続いている。隣村の日出谷では、お年寄りが畑で熱中症のため亡くなった。そんな炎天下で石舞台作業が始まる。私は生かされているうち、命ある限り挑戦する。

8月6日から炎天下の中で石舞台作品つくりをしている。多くの方は田んぼの中でいったい何をやっているのだろうと見ているだろう。レンタルのユニック車で公共事業のような土木作業をしている。それも2人3人でやっている、尋常でないと思うだろう。会員の大野さんと共同作品つくりをしています。石舞台という名のアート作品つくりです。

会員の坂内さんに頼んで、初日にお出でいただいた。とてもありがたいことである。これもNPO法人化のお陰かな。坂内さんは笑顔で作業してくださったが、ものすごく厳しかったと思う。会員初仕事にして、もうこりごりだったかな?

二日目、あの人この人と当たってみたがなかなか手伝ってくださる人はいない。そこで、最近知り合った方に朝7時、電話をした。すると、これから行きますということでお出でになった。作業し始めて2時間後、彼は疲労困憊、かなり疲れがひどく命に関わってはと思い帰っていただくことにした。誰か助けに来てくれないかと切実であったが、それから大野さんと二人になった。セメントを混ぜて運び、石敷きを二人でやるしかない。

夜はビールを飲みながら、なぜ石舞台を作っているか話しをした。それこそ実践を通しての話し合いである。夢を創るというのはこのようなことがなければできないことは確かである。とても盛り上がったというような言葉では言い表せない。今後これが完成したら、この石舞台はコスモ夢舞台に大きな足跡を残すだろう。そして、ふと高村光太郎の道程という詩を思い出す。

大野さんは55年間左官の仕事をしているが、こんな大きい石を敷いたことはないし、見たことも聞いたこともないという。それこそ、馬鹿げたような仕事である。確かに普通ではありません。これから寸法を測って記録しますが、もしかすると、この大きな敷石は日本でも、世界でも初めてになるかもしれない。ギネスブックに申請してみようか、面白いなと思った。この希望が明日の意欲につながるものです。

石の厚さが均一でないため、この石畳みは誰も手をつけないだろう。物凄く難しい石の板だからです。だから面白いと大野さんは言う。その大野さんは「佐藤さんが、車が乗れるような強度に作ろうといっていたが、知らずに俺はだまされて一生懸命作業をしていた」と冗談をまじえながらの会話であった。ともかく真剣勝負のこの夏である。私は無心になって、こんなに動けること、こんなに夢中に取り組める今の人生が幸せです。こんなことに付き合ってくださる友がいることに感謝しています。