2010.09.05
里山アート展会場つくりの過程
佐藤賢太郎

今日は嬉しい出来事があった。夕食にその人たちと一杯飲みながら、勢いでこの原稿を書いています。

朝、新会員になった山口さんが「今日何かすることありますか?」と進んで電話を下さった。勿論、私は里山アート展の会場作りの準備があるので、是非お出でいただきたいと返事をしました。

早速、杉林のアート展会場の看板と私の作品取り付けを手伝っていただいた。そこに、遅れてすみませんとYさんがやってきた。そこで、作品の前に邪魔になっている桐の木を切り倒そうと思った。そして二人にロープで引っ張っていただきながら、私はチェーンソーで立ち木倒しの作業をしました。電線にも触れずうまく倒れてよかった。

午後は田んぼの「はで」(稲を干すもの)作りに取りかかった。くい打ちは若い山口さんに頼んだ。日ごろはコンピューターの仕事でクーラーの効いた涼しい部屋で座っての仕事だそうです。今日は炎天下で汗だくだくのまったく違う仕事です。最後にはきついと言葉にしましたが、それは笑顔で明るかった。

その次は石の夢工房斜面の草刈りを二人に頼みました。いうまでもなく、私は指示しているだけではなく全体を見ています。これで2箇所の会場つくりが終わりました。汗だくだくのあと桃源の湯に3人で風呂に入りました。山口さんは始めての風呂で感動しておりました。

さて、私が嬉しかったのは山口さんが地元出身の方であり、地元の青年団にも入っている。そして、コスモ夢舞台の活動をとても夢のあることだと理解してくださっていることです。田舎の感覚と都会人の感覚の違いなど、いろいろなことを話しながら、私は故郷(新潟県で阿賀町は一番人口減少率が高いところ)に夢を創ることを話しました。

彼らは参加できて嬉しい、楽しいといいます。それは日常生活と違うことをすることで元気になれるからだといいます。「自分のやっていることが故郷を元気にしていく形になっているから、なお楽しい」とも言いました。 私は「14年間、都会の仲間が自分の郷里でもないのに、どうしてここまで続けられたか分かりますか? それはあなたの言うことと共通するところがあったと思う」と言いました。

今日の一歩は、今までになかった出来事です。山口さんには地域との接点役なっていただけたらとも期待しました。そして何より自分から手伝いながら、自分の勉強になると笑顔で話してくれたことが印象的でした。このように日々変化していく、コスモ夢舞台の現状であります。18,19,20日にはお会いする方もいるでしょう。最後になりましたが、一生懸命汗を流してくれたYさんに、以前厳しいことも言いましたが「私のような者も受け入れてくれて嬉しい」といいながら快くお帰りになり、私も嬉しくなりました