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2003.4.2

佐藤賢太郎との対談

 「人生後半に新境地を2」宮川俊治)      居酒屋・村さ来

 宮川さんとは10年前でしょうか、会員の前田さんが蓮田のアトリエに案内され紹介

していただきました。証券会社に勤めていらっしゃるとのことでした。いろりでジャガイモを

食べたことに大変感動されました。朝起会でも付き合いがありましたが、宮川さんは

一昨年ふくろう会のバスツアーに参加されて会員になられました。

以来、宮川さんが、ふくろう会で誠心誠意行動される姿に皆心を打たれています。

銭儲け社会にどっぷりと漬かっていたと自ら言いながら、今後の夢舞台に新境地を

開いてみようとされています。

飄々としたその素晴らしい人柄に魅せられて対談させて頂くことに致しました。

 

感動すること感動されること

佐藤 10年前アトリエでお会いした時、私は証券会社にお勤めの宮川さんと話が続

くかと思いました。しかし、その危惧もすぐ消えました。何もない私のアトリエで失礼なが

らジャガイモ焼きで接待しましたが、宮川さんは未だに忘れられない感動だったと言って

くださいます。

宮川 そうです10年前です。今でもその時のことは鮮明に覚えています。

時は晩秋の夕刻でした。私の尊敬する前田幸夫(ふくろう会員)さんに連れられて夫

婦で参りました。前田さんからは、佐藤さんは新潟の出身で高校の教員を捨て石彫

家に転じた人と聞かされておりました。

私も新潟の出身であることと、教職という安定された世界から不安定な芸術家へ

転身された御経歴に興味を覚えておりました。

招かれたのは、見沼田圃が見渡せるアトリエの東屋で、すでに東屋の炉では薪が

赤々と燃えておりました。自己紹介等談笑する内、佐藤さんは棒切れで灰の中を掻

きまわし「お腹が空いたでしょう。きょう近所の農家から戴いたジャガイモですが用意して

おきました」と灰から取り出して下さったのでした。バターと塩を振っただけでしたが本当に

美味しいものでした。見沼の自然をいっぱい感じつつ「世の中にこの様な接待の仕方が

あるのか」と家内共々戴いた感動でした。

私は証券会社に長年勤務しており、接待とは選び抜いた料理屋で金に糸目をつ

けず、贅を凝らしたものを用意してするものと思っていただけにショックすら覚えました。

佐藤 そうでしたか。一見遠い人間関係のように思っていましたが、その辺から宮川さ

んと今日のようにお付き合いするご縁が生まれたのですね。面白いもので人間関係と

は離れる人とは離れ、近づく人とは近づくようになっていますね。

ところでこちらが感動したのは、アトリエでのコンサート準備に宮川さんにトイレ掃除

をお願いしたところ、3時間黙々とされたことです。驚きました。どんなお気持ちでされて

いたのですか。

宮川 コンサートの会場造りは、私にとってはふくろう会に入会させて頂いて最初の

仕事でした。沢山の先輩会員さんが作業に参加され、会員さんの働きぶりは各々が

それぞれの得意技がある様にイソイソとしておられました。私はその様子を見せて戴きな

がら、「自分に出来ることは何も無いのだなー」と無力を思い、寂しさを感じていました。

そうした折り、佐藤さんから「宮川さんトイレ掃除をしませんか」と声がかかりました。

声をかけて頂き、俺にもやれることがあるのだとの本当に嬉しい思いになりました。この戴

いた喜びを感謝に替え、どうせやるなら皆に喜んで貰えるように徹底的にと思ったので

す。続けるうちトイレはピカピカと光り始め、まるで自分の心の中まで綺麗になっていくよ

うでした。この間、佐藤さんに何回も何回も「綺麗になった」と声をかけていただき、励ま

されたからできたことでございます。

佐藤 すごいですね。なかなかそんなことは誰にも出来ないことですよ。失礼ながら還

暦近い宮川さんなのに、まるでほっぺを真っ赤にした少年のような美しい心をお持ちで

すね。こちらが心を洗われます。

お金の勘定ばかりに価値を置かれる仕事をされているとおっしゃるのとは正反対です

ね。少年のような心は宮川さんの才能です。 

 ところで、高島屋の私の個展には、4回もおいでいただきありがとうございました。これ

もなかなかできませんよ。宮川さんが作品をお買いになられ、その上、搬出手伝いまで

されていたことに
、画商さんが大変驚いていました。どうしてそんなことが出来るの

かと。

宮川 私は証券会社に長く勤め、いつの間にか行動の基準が「損か得か」になって

おりました。ふくろう会に入会し先生と親しく接触させていただくく内、佐藤先生に感

化されたのではないかと思います。

損得を離れ、「佐藤さんに喜んで戴きたい」と思ったからでございます。

佐藤 恐れ入ります。そんなに宮川さんが思うほど私は立派でありません。目に見えな

いもう一人の私が、わが思いを通したいという想念が強いのですね。

教員を辞めたのは1度の人生に懸けたといえるような生き方をしてみたかっただけな

のです。

家内が有名になってから辞めてください、と言うのです。どうなるか解らないから俺は真

剣になれる、そうでないと甘える。だから今やる、と決意をしました。

でも、実際に弟子入り修行に入ってつくづく自分は甘かったと、家内にも誰にも

言えない後悔の念にかられました。夢が強くて計算が出来なくなっていたのですね。

 

インテリになりたいですか

佐藤 宮川さんは自分をインテリだと思いますか、インテリと呼ばれたいですか。

宮川 恥ずかしい事ですが、若かりし頃は一時、「俺は頭が良いぞ」と思ったこともあ

りました。今では、何んの努力も払ってこなかった自分、何も出来ない自分を思い反

省しています。第一、インテリの意味もわからない私です。インテリなんてなれないし、なり

たいとも思いません。

佐藤 恥ずかしながら私の場合は、出来ればインテリと呼ばれたいと思い、学生時代

から今日までそう思い続けてきました。ともかく背伸びしたくてしょうがないところがありま

した。

でも、私は中途半端でインテリにもなれませんでした。有名大学でもなく、美大を卒

業したわけでもなく、ろくに作品も作れないのに教職を辞めた人間です。計算が出来

ないのですね。宮川さんもいままで話された言葉、行動からすれば虚飾インテリではな

いですね。変な虚飾インテリには新しいことを創造できる力がないと思います。

捨てるという意志がないと新しいものを生み出せるものでありません。ところが少し学

歴があると、それが邪魔をして自由な発想が浮かびませんし、行動すら出来ませんね。

変なものはないほうが良い。素直さが一番大切なのに自分では相当なものと思い

込んでいる人が多いですね。

今日、虚飾インテリが一杯で、一億総評論家が日本の現状だと思います。信仰、

神を語ると迷信と思っている人が多いが、そういう人間こそ、別の迷信に取りつかれて

いるように見えてならない。自分の意思や心だけではどうにもならない事実もあることを

謙虚に感じなければならないと思う。

虚飾インテリはふくろう会に入らないでしょうね。宮川さんの“お金をもらってはとても

出来ない建設作業”というような言葉はインテリの辞書にはないでしょうね。捨てる心

がなければとても出来ません。捨てる心が宮川さんにはありますね。それが夢を感じさ

せ、行動をおこさせ、人間を感動させるのだと今は思います。

夢舞台は誰にも出来そうですがそんなに簡単に出来ません。このことは自信もって

言えます。インテリ意識を捨てることから始めなさいなさいと、最近ある方から教えられ

ました。

 

自分で創り出す自分の人生

佐藤 宮川さんも実践倫理を学んでいますから五号倫風巻頭を読みましたよね。

自分で創り出す自分の人生と言うタイトルでしたが。

宮川 人の作った物を使い消費し、人の創ったレールの上を歩んできた自分だと思

いました。運命は自ら拓き、運命は招くものと心し、これから努力したいと思います。

佐藤 彫刻家になる夢、ふくろう会による夢舞台作りはまさに自分で創り出す自分

の人生、私が今取り組んでいること、歩んできた道だと思います。

 先の倫風五号を少しご紹介しますと、「現代の大人も子供も自分で何かを作り

出そうという発想自体がほとんど消えかけている。作り出す実践の喜びを知らないば

かりか、自然から学ぶことすら忘れようとしている。そして、人生にも誰かが作ったこ既

製品があり、高級な既製品を買いさえすれば幸福になれると思い込んでいる。難関

校から有名大学……安定と収入のモデルケース。そのどこに喜びがあるのでしょうか

と」問い掛けています。

私はこれを読んで、自分の歩んだ人生の一部にあったし、作家として歩んだ道にも

あったのではないかと反省しています。

 こう話を単純にして見つめますと、ふくろう会で夢舞台に向かうということはまさに自

分で創り出す自分の人生だと確信します。ただ、それには積極的にかかわっていくとい

う条件がつくのだと思います。

 

夢舞台で過ごしてみる夢心

佐藤 ところで定年退職が6月と聞きました。どうされるのですか。前喜多方美術

館館長の山形さんは、人生の後半をどう生きるかが問題と新聞論壇に発表されま

した。どう感じますか。

宮川 ハイ6月の予定です。勤めて42年になりますが、この間私の過ごしてきた基

準は、良いか悪いかではなく損か得かでありました。又、他人を優先することなど無い

まさに自分中心的ものでした。定年後は基準を180度転換した生き方をしたいと

思っています。

佐藤 ふくろう会であそこまで夢舞台をつくりました。しかし素晴らしい建物を作っても

一年に1度しか使わないのでは、生きた夢舞台になりません。

いつもふくろう会だよりや対談でも申し上げていますが、夢舞台の活用と社会との

かかわりをどのように示してゆくか。ここがないとせっかく汗を流した甲斐がないですね。

みんなもやったなと誇れる実感が薄いと思う。要するに、現地で管理運営できる

人がいないとこれ以上の発展はないことになります。

あの汗と誠で作った一つ一つの建物も、ただの箱物に終わってしまいます。作ると

いうことは困難を伴います。しかしそれは何とか先が見えてきました。今度は管理運

営という見えない壁にぶつかっています。建物創りも容易ではありませんでしたが、今

度は別の難問です。

誰が豊実に行けるかという問題です。でも、私はやれるところからやるしかない、ふ

くろう会とは別に私が代表となって運営するプロジェクトチームを作ろうと考えています。

宮川さん参加しませんか。そういう段階に入ってきたと思います。

宮川 今までの生き方を180度変えたいと思う時、何も無い土地、豊実は恰好で

最高の舞台だと思います。夢舞台を使わせていただき、ふくろう会員、友人、家族と

共に、利害を離れ舞台で勢一杯夢を舞いたいものと思います。

1.   緒に農作業がしたい、土作り・植付け・草取り・水遣り・収穫・調理し食す

2.   夢舞台を根城に、キリン山登り・万治峠へ・飯豊山へ

3.山女・岩魚・鮠等のつり

4.山菜採り・漬物作り・味噌つくり

5.温泉廻り

6.読書三昧

共に参加して楽しみ、出来上がった手造りの品物を通して楽しみ。人と人と、人と

豊実の交流を図りたいと思います。

佐藤 宮川さんは元気で動けるにしてもあと十年と言いました。どう自分の人生を

創るのかでしょうね。数億数千万円の貯金があれば誰だってやれますね。でもそれも

ないところからやってみようとしないと出来ない。これが与えられた条件です。

石を彫ってみると解りますが不自由です。しかし制限のある不自由さだから私な

りの作品が出来るのです。粘土のように自由に細工できる素材では、私の場合は

味が出ません。不自由な石によって助けられています。宮川さんの心意気を嬉しく思

います。よろしくお願いします。