2010.06.25
印象に残った生徒たち
佐藤賢太郎

実にいろいろな生徒たちが体験学習にやってきた。川面に霧が立ち、それを見て感動する3人の生徒たちがいた。こんな生徒たちと接すると、ついこちらもサービスしたくなる。夕食時に、その中の一人が将来、水族館に勤めたいという夢を語った。即座に大阪にある「海遊館」のビデオを見せることにした。すると生徒たちは大感激して和彩館がラリーの大画面に見入っていた。

翌日、美術館の掃除を朝一番の仕事にした。窓拭き、床雑巾絞りと指名した。水族館に勤めたいといっても、「このように見えないところをきれいに掃除することができないようでは水族館に勤めるなんてやめたほうがいい。魚にえさをあげるだけでなく、辛抱強く裏方の仕事ができて初めて一人前、人に喜んでもらえるのだ」と教えた。別の一人には、「ただ拭くだけでなく、自分は今何をしているのか、主体的に考えてしなければ意味がない。君は考えてやっていない」と話した。もう一人にも、「ガラス窓を拭くのにはどうしたらよいか、考えて行動するように」と手本を示して教えた。

さて次に、開会式で校長先生の話をぜんぜん聞いていなかったという高校1年生の男子がやってきた。家内が迎えに行って、車で仕事場に連れてきた。どうも反応が良くない感じがした。直ぐに風呂に入れずに斜面の草刈をさせた。ともかくここは、こういうところということを分からせる意味で、身体を動かすことで生徒との接点を作ることにした。                    

さっそく、笹の葉とりの伐採現場に連れて行った。午後は田んぼの草取りを農業希望者の女性に頼んでおいたところ、2人の生徒は直ぐにやめてしまったそうだ。私はお客様との用事が済み田んぼに行ったが、既にやる気はない様子なので、これ以上だめだと思い薪割りに切り替えた。

彼女を残して仕事場に行く途中、早くやめてしまった生徒が「一人でかわいそう」というから、「根性のないお前たちとは違うよ」と冷たく厳しく言った。

薪割りは、興味があるようで続いていた。そして風呂に入る時間になった。お湯が一杯にならないので私は火をたいていた。そばに来た生徒の中の一人と話をすることになった。彼は他の生徒より2歳年上でした。私は賭博で揺れる日本の相撲界の話をした。すると彼は母親が外国人であり非常に貧乏をしてきた。日本人は恵まれているのに気づかず甘いと思うし、日本に来る外国人は自分の国に帰ったら誇りにするから、あんな賭博などは絶対にしないと言っていた。      

私は「大人もそうだが、辛抱ができない子が多すぎる」と言った。彼は「将来、日本の青少年はどうなるのでしょう?」などと心配顔だった。また、時に厳しい口調で叱ることがある私の姿を見てか「佐藤さんは手本を見せてやらせるが、そうした先生は少ない。だから言葉に重みがないし、生徒は話を聞かなくなる」とも言っていた。

いろいろな生徒がいる。言ってもしょうがないので流そうかと思う心も出る、しかしあきらめずに、生徒を見ながら目先を変えながら、やって行くしかないようだ。こちらがどれだけ対応力があるか、試されているのかもしれない。

   こんにちはと挨拶し、いつも元気でねさようならと見送る。かずかずのお別れの繰りかえすこれがとても素晴らしい。

   精神的に体を張るそんなひと時が終わるとほっとする。どんな生徒たちにも対応できる自分になることは私の学びである。