2008.07.11
コスモ夢舞台14日目1
佐藤賢太郎

ともかくいろんな体験をさせたと思う。愛犬リキを洗うこともさせた。リキは塾生にも癒しの存在である。しかしリキを洗ってと言うと「エーッ」と言う。あした最終日は大沢畑の草刈かなというと「エーッ」と言う。私はついに「君は何をやらせてもやる前にエーッと言う。やる前からそんなことばかり言う人間じゃどうしようもないよ」と、いらつく心をおさえて言った。今日は鉄を切らせた、勿論初めてのことであり手本を示してやらせた。花火のように火花が出て、緊張と戸惑があった。切りにくいところに差し掛かり苦戦していた。それを私が見て「それは立てれば切やす

いだろうと」立ててあげた。ここにも考えると言う学習がある。習慣的にほとんど考える回路が止っているように思える。これは現代日本人全体に共通することだと思う。体を使い働くことで考える回路が生じる。ゲームやパソコンでは考える回路は止っているとよく聞く話である。

朝、田圃の草取りをすることにした。私が田圃に入った。しかし塾生は入らない。「そんなところでいても草はとらない、中に入って草をとるんだ」と言った。昨日田圃に入って長靴から両足が抜けて泥に入ってしまった。それがとても嫌な印象が残ったようだ。そのとき足を洗ってなにもしようとしないので「何している挑戦してもう一回やりなさい」と命じてやっと入った。昨日の失敗が頭にあり嫌だったのだろう。塾生「昨日のことがトラウマになって」と言った。それでも私は草取りをさせた。塾生との根競べである。私は嫌だからやらないは許さない。なぜならそれでは何にも前進がないからである。今までそれが通ってきたから何も変わらない人生であったと思う。私ももういいかな妥協しようかとも思う。教育は辛抱が必要である。

もう1週間は訓練が必要と思う。とってもこれでは社会では通用しないからだ。しかし本人はやらされている意識から抜け出ないようである。もう来たくないという気持ちだろう。それもしょうがない。わたしは折に触れ塾生に「今はつらいかもしれない、自分を鍛えるために、君かここにいる。楽をした生き方を選んでいる先には苦難、不幸と言う大きな口を開けている人生が待っているよ、そちらが良かったらそれを選べばよい」と厳しいこと言う。

  さらに「ここが厳しいと思ったら間違いだよ。仕事に就くのはもっと厳しいよ」とも言った。「だから耐える訓練を少しずつここでしているんだ」と、ここにいる意味伝えた。