2008.07.23
体験学習の2日間
森紘一

7月20日(日)晴れ
 阿賀町の公民館集合は午前8時20分だという。NPOにいがた奥阿賀ネットワークが主催する開校式があって、そこで受け入れ側の6地区30の各家に生徒たちは引き渡されるそうだ。今回の体験学習は、須賀川で個展開催中の賢太郎さんに代わって、賢太郎さんの叔父さんにあたる沖津さんとわたしがスタンバイすることになった。                          

7時過ぎ、叔父さんはすでにマイカーで20分ほどかかるという自宅から到着していた。とても83歳には見えないかくしゃくとした若さである。                       
   マキ子さんとわたしは7時40分過ぎに家を出た。まだ、抜けるような昨日の暑さではなかった。

東京都からバス4台を連ねて、男女160名の中学2年生がやって来た。昔から浅草海苔や小松菜の産地として知られ、代々家業を継いでいる親御さんの子弟も多いそうだ。「我われの中学は創立60周年になりますが、自然に恵まれたみなさんの阿賀町とは共通する環境で育った生徒も大勢います。どうか短い期間ですがよろしくお願いいたします」。挨拶に立った校長先生の話はよどみがなかった。   

我われの前に現れたのは男子生徒4名。1人が硬式野球、2人が軟式で、もう一人はテニスをやるという明るいスポーツ少年たちだった。まずは、和彩館の丸テーブルを囲んで自己紹介が始まった。生徒たちは幾分はにかみながらも、それぞれに「よろしくお願いします!」と声がはずんでいた。

マキ子さんから、「ここにはお客様も見えます。今日から我が家の家族になったわけですから、知らない人にもきちんと挨拶をしましょう。近所の小父さん、小母さんにも声をかけてください」と短い訓示があった。さっそく、マキ子さんはお母さん、わたしはお父さん、沖津叔父さんは小父さんと呼ばれることになった。

賢太郎さんから事前に渡されたメモによると、午前中はみんなでイモ掘り、午後は2組に分かれて薪の運搬と風呂掃除、風呂焚きとなっていた。

Tシャツと短パンに着替えた子どもたちと国道を挟んで里山アート展会場の向かいにあるジャガイモ畑に出かけた。ふくろう会員の藤野さんが持ち込んだ運搬車は、低速ながらなかなかの優れモノで、今ではコスモ夢舞台の作業に欠かせないマスコットカーである。嬉しそうに乗り込んだ子どもたちとこれを運転する笑顔の叔父さんは、時速5キロ程度のスロースピードを楽しむかのように身体が踊っていた。

サルの被害から守るために網をかけられたイモ畑は、昇りだした陽ざしを遮るものもなくかなりの高温だった。しかし、子どもたちは暑さの中でも動きは軽快で、鍬を振るう叔父さんとわたしはあおられ気味だった。正味1時間足らずで、作業は終了した。

休憩後、石夢工房の空きスペースにイモを運んで広げた。石夢工房と桃源の湯の大きさと広さには驚いた様子で、子どもたちは「すっげぇー!」を連発していた。        

帰りに、悠々亭を案内することになった。SLを見たいといいながら馬取川で遊び出した子どもたちをせかせて、12時ちょっと前にアート展の会場まで戻った。タイミングを合わせるように日出谷の方から列車の音が近づいてきた。子どもたちは、一目散に線路際に近づいて行った。もくもくと煙を吐く目前の迫力に圧倒されながらも、何とかSLをカメラにおさめることができたようで、わたしもほっとした。

昼食は、ヨモギの中華風冷やしソバをいただいた。「滔々亭の方で、食べてもいいですか?」という子どもたちの希望がかなった。マキ子さんの食膳感謝の言葉に子どもたちも大きな声で唱和した。“天地一切の恵みと これをつくられた人びとのご苦労に感謝して いただきます!”阿賀野川を渡って、かすかに向かいの荒山からこだまが返ってきた気配だ。素晴らしい文言である。覚えてほしいマナーである。素直な子どもたちの表情もさらに輝いて見えた。

昼食後は1時半まで自由時間とした。「お父さん、川で泳いでもいいですか?」「釣りにいってもいいですか?」元気な子供たちである。遊泳は禁止だが、釣りはOKということで、釣り竿を片手に叔父さんは連れ出されてしまった。残念ながら、今一歩のところで釣果は上がらなかったようだ。

桃源の湯の風呂掃除と大沢畑の薪運びは2組に分かれて担当した。風呂焚きも一応済んで、合流した4人は耕運機を改造したキャタピラー車で小枝や薪木を大沢畑から橋の下を通って国道沿いに積み上げていった。これをさらに例の運搬車に載せて、桃源の湯の薪置き場まで運ぶ最後の工程が一番の力仕事だった。3往復はしただろうか、子どもたちの疲労もピークにきたようだ。小雨がぱらつき出したところで作業は終了した。
   キャタピラー車の運転は、簡単なようでコツがいる。見様見真似で生徒は使いこなしていたようだ。何事にも興味を持つ器用な子どもたちである。

入浴と夕食までには、若干時間があった。「お父さん、もう一度、悠々亭に行っていいですか?」という子どもたちの声があった。わたしと叔父さんも悠々亭の囲炉裏に枯れ枝をくべながら、しばし休息することにした。川原から戻った子どもたちも加わって、川音を背に夕暮れのファイヤーストームとなった。子どもたちも、悠々亭がすっかり気に入ったようで、「また、来たい」と繰り返していた。

マキ子さんの夕食メニューは、滔々亭でバーベキューだった。風呂からあがった子どもたちは大喜びで、鉄板を囲んで焼きもの役を引き受けてくれた。ソーセージ、ジャガイモ、カボチャ、豚肉、キャベツとすべて子どもたちが皿に盛ってくれた。このところ夏バテ気味だったマキ子さんも子どもたちの協力で元気が戻ったようだ。               

子どもたちは食欲も意欲も旺盛で、賢太郎さんのお母さんが持ち込んだキュウリやナスの浅漬けも大好評だった。さらに、「もう一度釣りをしたい」「カブトムシやクワガタはいませんか?」「蛍はどこに行けばみえますか?」とせきを切ったように言いだした。    

叔父さんは子どもたちのりクエストに答えて、帰宅時間を延ばして残業をすることになってしまった。「いやぁ、なんとかしてあげたかったなー」叔父さんの一言は子どもたちにも温かく響いたようだ。

 当家の主、賢太郎さんが須賀川の個展会場から戻ったのは8時半を過ぎていた。遅い夕食をとりながら、滔々亭に戻ってきた子どもたちを前に賢太郎さんが語りはじめていた。“君たちのご両親やおじいちゃん、おばあちゃんに感謝の気持ちを持つこと。今日、君たちがあるのは、ご両親やご先祖さまのお陰です。それから、友達を大事にすること。一人ではできないことも、小父さんのように友達の手を借りれば実現できることがいっぱいあります。そして、夢を持ち続けること。これが一番大事です。あきらめずに、実現しようと努力することです。”
  諭すようなやさしい語り口だった。じっと聞き入る子どもたちの瞳も輝いて見えた。

7月21日(月・海の日)晴れ
 午前6時15分、マキ子さんに声をかけられて子どもたちを起こしに和彩館の2階へ上がった。昨夜、「6時になっても寝ていたら、フライパンを叩いて起こしてください」と、子どもたちはマキ子さんに可愛い冗談をいったという。                     

よほど疲れたのか、心地よい夢から覚めがたかったのか、フライパンは使わなかったが4人とも飛び起きる素振りもなかった。全員揃って覚えたての食膳感謝の言葉を唱和した時には、すでに6時半を回っていた。それでも、賢太郎さんを囲んであわただしく記念の集合写真を撮って7時15分には出発することができた。集合時間の7時50分には、何とか滑り込みセーフだった。

公民館前では、どの車から出てくる子どもたちも表情は明るく、本当の家族と別れを惜しんでいるかのように自然体だった。

式では、校長先生の御礼の挨拶、生徒代表の感謝の言葉に続いて受け入れ側家族を代表してマキ子さんが挨拶された。「皆さんも、たくさん楽しい思い出や感動のお土産ができたと思いますが、わたしたちも皆さんから、いっぱい元気をいただきました。また、阿賀町にいらしてください。ありがとうございました」、と交流の意義を述べられたのが印象的だった。

   子どもたちとの体験学習の2日間は、私にとっても貴重な体験だった。むしろこれからは、大人たちが体験できるような学習プログラムが必要なのではないだろうかと、そんなことを考え続けた2日間でもあった。(終)