2015.03.04
学びと朗報
佐藤賢太郎

先日、津軽圭介ショーを観ました。津軽三味線、民謡も一流でした。座長の奥さんと知り合いになり、見物することになりました。民謡は仕事がきついときに生まれたと言っていました。冬期に、青森から月岡温泉の冠月のホテル興業で一か月半芝居を続けます。それがもう、23年以上も続いているそうです。奥さんの陰の支えがあればこそと思います。 

そこで感じたことは、一座の一人ひとりは個性があり、それぞれ違うということです。人間をまとめるということはいかに難しいか、私はそれなりに分かります。演出や振りつけ、その他何でもこなす74歳の座長ですが、この継続し、切り盛りする実行力がすごいと思いました。 

また、新聞の活字に目が留まった。中東のかの国で武器を片手に人々に卑劣極まりない行為を見ることになった。もし彼らが日本に生まれて、よい学びに育まれていたらどうなったか、一方自分がそこに生まれ、そのような教育をされたらどうだろうか。全て本人の責任にはできないと思った。 

次に、高橋源一郎さんの「弱者と共に生きる未来」に目が留まった。障害者の子供をもった親や、施設で働く人たちは明るかった。聞けば「この子たちが生まれてきて本当に良かった」「普通に生きて健常な生活をしていたら、どれだけ傲慢になっていたか」とおっしゃった。弱者は人間社会の中である種の役割を果たしている、とあった。

最近、地方の過疎地域に移住する若者が増えている。過疎とは農業や林業が衰退し、住んでいるのは老人ばかり。つまり、時代に見捨てられた弱者の共同体だ。しかし高橋さんは、弱者と共に生きる幸せと「衰退する日本を弱者が救う」と思っていると結んでいた。

 私は弱者である母と共に暮らしていて、超過疎地域に住んでいる。母の介護をとおして、母のお世話になって今の自分があることをしみじみと思う。人間はやがて弱くなるもの、そして死に至る。命には限度があり。仕合わせも考えさせられる。この母がいればこそであります。

限界集落に近づいている過疎に住み、現金収入はとっても少ないけれど、今私は、幸せな生き方をしています。

弱い立場に立たされたからこそ見えるものがあります。希望をつくるには、夢をもつこと、創造的であること、即動くことが大切だと思います。

そんな時に、コスモ夢舞台に朗報が飛び込んできた。受賞なるかどうかわからないが、ある賞にノミネートされたようです。コスモ夢舞台はそこまで来ているのです。これが実現したら凄いことになります。

また、ささやかながら海外からもオファーがありました。今年もフランスからコスモ夢舞台で体験したいと59歳の公務員をしている男性からの連絡です。ウーファーから連絡がありました。阿賀町でもコスモ夢舞台が知らないのに、どうしてフランスから過疎の豊実、私の家を選んだのでしょうか。言うまでもなく魅力があるからです。

面白い年になりそうですね。