2007.02.18
佐藤賢太郎
農のシンポジウムを考える

少し疲れたら和彩館に来て元気をもらうと時折遠路からお出でになられる小池さんと農業政策の転換でどうなると熱く語り合った。私もこの方と初めて一杯話した。同席された来訪者の方も涙を出すほど笑って聞いてくださった。和彩館はこうして知らない同士が交流するところここが素晴らしいと思った。ご夫妻は新潟市近郊で泥んこ塾と名をつけ、農を楽しむべく貸し農園をやっていた方である。今年のシンポジウムで農について話しをする事になっていると話してあったので「農業政策転換によって大規模農業にだけ補助政策によって、山間地域のたんぼは消えて荒れ放題になるのでしょうか」と私は質問をした。

すると小池さんはアメリカや中国と同じ値段の米を作るには大きな集団農業にして対抗しようとしているがそんなことをしたって面積が全然違う、だめだね。第一100人で耕作していたのを一人でまかなうようになってもそれを維持しようとするとものすごい経費がかかり黒字になるかが問題である。そして土地を貸した方は100分の一の所有権となって何の権利さえなくなってくる。基盤整理にかかるお金の負担だけは取られ、米代としてのもらい分は全て消えてしまう、こんな図式になっている」と言うようなこと述べられました。農業者は今まで大型トラクター機械の借金におわれ今度は自分の土地も自由にならないことなのか。現に小池さんの近くにいる方が大きな田んぼにしたけれどその維持の大変さ、そして病気になって大きな田んぼを作れなくなって困っているそうです。

私は内山節氏の本を読んで、EUの農業補助金は生産効率のためでなく環境保全の為にしているそうですと言いますと、失礼ながらそうですと知っていらしゃいました。荒れた田畑が多くなって、貯水池もなくなり、ふるさとの原風景が消えてしまうねと言った。「効率の悪い山間地には大型化は難しく、補助金を頼りにしていたの農業は成り立たなくなり放棄せざるを得なくなります。ただ安全な米を自給自足のためには作るかもしれませんね」。と私言った。「自分の食べるのは自分で作るその精神が大切」と小池さんは言う。外国さんのさらに安い米を食べると言うのは毒を食べているようなもの、中国では米を作るのにそんなに農薬は使えない。人件費が安い、農薬代ももったいない使わなくてもできる。しかし日本に輸入するときものすごい農薬を振り掛けるそうです。そうしなければ許可できないようです。でも皆さんは知らないから安いからと言ってそれを食べるのですか。現場を見たら恐ろしくてとても食べないでしょうね。鳥インフェルエンザのような病原菌がつくのだからそうするのでしょうか。奥さんは「均一綺麗いという野菜はおかしい、薬によって均一きれいになる、私は虫のついた野菜を食べる」と自ら作る野菜をについて話していました。「では小池さんは虫もつかない毒の入った野菜を売っているのですか」というと大笑い。消費者が「綺麗なもの毒のあるものを食べたいと言っているのだからしょうがないですね」と言うと大笑い。だから私は今年、賢くなるために農のシンポジウムをするのですと言った。農は又地域再生、生き残りのチ知恵でもあると思いますと言った。こんなことからこの方に参加していただく事に決めた。とても解りやすいでしょ。こんな風にして語り部を人選しています。面白い実学シンポジウム準備しています。その他二人を決めています。学者でも指導員でもありません。

自分たちのことは偉い人が決めるのでなく自分たちが考える時代でないでしょうか。捨てられた中山間地にこそ人間の感動ある農業ができるかもしれない。夢をもって儲けばかりに走らないで、ホンモノと対面する場になる事が地域再生でないか。小さな田んぼと山と川と水しかない。それによってどこにもない価値を作る。安心安全を求める都会の人の参加する農業。このデザインビジョンが必要だと思う。安心安全を得るために何処かで作った認定傘下に入る必要もないと思う。かつて美術界で私は権威を得る事が身の保障とその傘下に入ろうとした事もあった。無所属は厳しい事もあるかもしれない、しかし、生きることを自分で考える力をもらうメリットもある。

今日本はシステム全体がアメリカ傘下に入ってしまっているのでないかとふと思う。そのアメリカは温暖化防止に参加したくないと言っていた、生産効率が悪いかららしい。ようやく地球が危ないとなって、少し考えが変ってきた。知らない間に私たちは効率第一主義を価値善とするその傘下に入って生きている。

最後に黒川村の話しも聞きました。本に載らないようない話しも。決していい事ばかりでない現実もある。なにが幸せなのか、豊かさなのか。(佐藤賢太郎)