2011.09.01
コスモ夢舞台の方向性
佐藤賢太郎

コスモ夢舞台は常に歩きながら、時に走りながら進化している。そして、共感し支えあう会員によって成り立っている。

15年前、友と語り合う東屋つくりから始まり、泊まる所、食事処などのリフォームによる建設、里山アート展、田んぼ夢舞台祭り、ビオトープつくりと広がって地域との連携も高まってきた。

さらに大震災を境に、コスモ夢舞台の活動は必然的に困ったときに支えあう活動につながってきた。むやみに手を広げてこうなったのではない、自然とこうなったというのが私の感想である。

この歩みを考えるとき、毎月購読している冊子「倫風」のちょうど良い文章に出会った。時代を読むという文章の中で「江戸の文化は地域再生の道しるべ」、と竹内誠さんはあの福島県飯館村の人びとの生き方を書いていた。

飯館村は人とひとのつながりとものを大切にするエコロジー社会を目指していた。竹内誠さんは公共施設が間伐材で作られていることに目が止まり、ものを大切に使う江戸時代の人々の暮らしぶりと酷似しているという。高度経済成長を達成した日本では常に物質的豊かさが追及され、個人の権利尊重、そして効率や採算ばかりを価値基準とした個人主義に占有されたとも言っている。原発事故は効率採算を優先した結果である。

そして「未来世代に思いを馳せて」というタイトルの中で、さまざまな方が「お金や電気がなくても、楽しめる生き方」などを述べている。また、アイヌとて生まれ、いじめられて育った宇梶さんの「大地の恵みをいただいている私たちの役割」が心に残った。過剰にとらず、自然を痛めず、アイヌは自ら戦争を仕掛けたことはなく、万物に宿る神々や、大自然とともに心豊かに暮らしていた。

 最後に筑波大学教授の安藤さんが、森林資源を活用する日本家屋の見直し、木の家の美しさと居心地の良さを次世代に引き継いでいただきたいと述べていた。

震災や原発事故を境に、多くの方々はとても大切な生き方だと思うに違いない。しかし現実的には、どう実現できるかである。

例えば山火事の時、一滴一滴水をかけるハチドリのように、一人ではできないことを私たちコスモ夢舞台の会員は実践し、上記のような価値観を共有して進んでいます。それは都会に住んでいて即実践できることではない、コスモ夢舞台だからこそできることである。
あらためて、この空間価値を会員とともに確認したいものです。

また、コスモ夢舞台の建造物、里山アート展、田んぼ夢舞台祭り、ビオトープつくり、農にしても身の丈に合ったできるところで実践しているわけです。コスモ夢舞台が目指しているのはどこかを、会員とともに再認識したいと思う。