2009.02.16
「半農半X」に思う
佐藤賢太郎

今、世界中が不況で日本国内も首切りリストラで仕事がない、これからどうしたらよいのか不安なでたまらないと毎日報道されている。いきおい、公務員になることが一番安定するといって採用試験に人が集まる。かたや何とか生き延びようと思索する小企業の苦悩は大きい。企業でも役員は一番にボーナスカット、給料を下げたらよい、公務員も同じである。ただ首切りして経営を成り立たせればよいというのでないと思う。                 

こうした時代に豊に生きるとはどういうことなのか、それを考えるいいチャンスなのだと思う。私のように彫刻家として生活が成り立たない局面がせまっている人間でも、これからの豊かな生き方、あり方を語るのです。

そうした時、「農」と「天職」のある暮らしを目指す若者たち <人間らしい生き方と持続性可能な社会を求めて>という塩見直己さんの文章に出会った。以下かいつまんで上げてみます。     

“自分の手で耕す、自分の力で収入を得る

環境問題や食糧危機が叫ばれる中、都会から田舎へ移住して、自給自足の「小さな農」を営む若者が増えているという。

食料自給率40パーセント以下で外国に頼る生き方や、汗もかかず消費だけする現実に疑問をいだくようになった若者。自分が食べるだけの「小さな農」を行い、かつミッションによっていくばくかの収入を得ることができれば、自然環境や他人を思いやることのできる社会が築けるのでないかと思い至ったのだといいます。ミッションとは人それぞれである。もちろん私のような彫刻家でも、作家、写真家、農家民宿、塾でもいいことになります。                

心にも体にもよい農からの恵み

1. 体を使い、汗をかいて働く新鮮さ。家族と一緒に食べる食事の美味しさ                            

2.荒れた田んぼや畑が再び利用される

3.自分の家で食べる分だけ作るため、農薬等はあまり使わない安心な食物

4.自然との対話

5. 田舎暮らしは挨拶が重要。コミュニケーション能力が養われる

6.米作りは共同作業

7.  せかされない

8.作物を作ることによって命の循環、自然への感謝に思いをはせることができる“

ここまでしかまとめませんが、既に私が提唱することと重なる

   ことの多さに気がつきます。既に私はその実践をしているのだと思います。私以外は、移住という点ではそこまでは実現していませんが、若者たちにそのようになって欲しいと願い魅力を作っています。   

それを作ることに重要な仲間が存在しています。移住でありませんが都会に住みながらその価値を認め、通いながら、この実現に力を注いでくれています。

この時代に、同じように考え実践している方もいるのだと思うと嬉しいものです。しかし手法は、それぞれ独自のものになるのでしょう。大きなところでは何が大切なのかは同じですが、私たちは少し違う。現に、それでよいのだと思う。

      最後に、今過疎化の進む私たちの田舎では米を作る方がこのままでは確実に消えてしまう危機にあります。すると、もっと自給率が下がります。今、米を作っている人は60歳後半から70歳代です。その子供は、ほとんど経験がないというのが現状です。
   工業製品だけ優秀といわれてそれでよいのか、日本国はそれで本当に豊かな生き方の選択をしていると言えるのだろうか。林業にしても、山は安い外国産の木材が入り日本の山のほとんどは荒れてしまっている。だからこそ、できるとこから「半農半X」が必要なのでないかと、つくづく思うのである。