2010.01.11
「地球主義による夢の実現」を読んで
森 紘一

 吉田富久一さんがこの原稿を書かれた意図は分かりませんが、里山アート展に出品参加されている作家先生が、「コスモ夢舞台」のさまざまな活動の現状と問題点を冷静に分析されていることに、まず驚きました。と同時に、コスモ夢舞台に寄せていただく関心と期待の大きさには感謝の気持ちがわいてきます。

いくつかの論点に感想を述べさせていただきます。

―コスモ夢舞台の将来展望に過疎対策や地場産業再生の提案がなければ、地域住民から十分な指示は得られまい。住民の生活から乖離した芸術活動では人々は付いてこないのではないか。                                      

ご指摘に異論はありませんが、コスモ夢舞台はマニフェストを掲げる政権与党とはちがいます。地域住民にロードマップを提示するような自治体や再生機構の立場でもありません。アート展を中心に田んぼ祭り、ビオトープづくり、体験研修、シンポジウムなどの活動を通して、個人の元気と地域の明るさを取り戻そうと呼びかけているアマチュア団体です。ようやくこれからは、誰にでも参加していただけるように組織のありようも再検討していこうと話合っているのが現実です。

―都会に住むフクロウ会のメンバーは、生活が安定し悠々自適に暮らせ、余生の限りこの活動に夢を託す体勢である。

これは、必ずしも的を射た見方とはいえません。「豊かさとは何か?」「生きがいとは何か?」を日常生活のなかでそれぞれが自問自答しながら佐藤賢太郎さんに出会い、ふくろう会の活動と人とひとの広がりに喜びを見出している仲間が圧倒的に多いのです。また、アートの制作だけが創造することの楽しさを教えてくれるわけではありません。極論すれば、「生きることは創造することである」とわたしは愚考を重ねています。

―地域の後継者問題もさることながら、この活動も後継者の養成が急務なのに、問題は未解決のまま据え置かれている。フクロウ会は60歳以上の高齢者の集まりであり、いったいあと何年ここでの享楽を続けられるというのだろうか。

後継者問題はコスモ夢舞台と地域社会にとって、さらに言えば我が国と地球社会の未来にとって、課題であることは間違いありません。しかしそれだけに、我われも気持ちの若さだけではなく、健康第一を心掛けて持続可能なコスモ夢舞台の運営方法を模索し続けていかなければと考えています。それはコスモ夢舞台の高齢者に限らず、今を生きる成人すべての次世代への責務ではないでしょうか。

―今日、芸術は地球主義という前人未到の遠大な課題の架け橋を担っているように、私には思える。そのきっかけづくりと、目標に立ち向かう過程と努力が我われ地球人の夢、と言うことになるのではないだろうか。佐藤氏がこのことを前提に欧州文化首都を豊実に持ち込むのであれば画期的なことである。

そしてコスモ夢舞台がWU(世界連合)の成立への一助としての役割を果たせるならば、豊実の寒村で行われているこの活動はよりいっそうの輝きを発する。その輝きに引き寄せられるように人々は舞い戻り、地場産業は復興し、後継者も出現するだろう。内外の芸術家や多くのひとたちが行き交う場となり、佐藤氏にとっても、住民にとっても、我われにとってさえも夢は適うに違いない。

 吉田さんのこのむすびには、壮大なロマンと共に飛躍があると思います。コスモ夢舞台とEU・ジャパンフェスト日本委員会は、古木修治さんと佐藤賢太郎さんの個人的なつながりから発展して、今では深い絆で結ばれていますが、欧州文化首都構想と豊実はむしろ零の関係です。さらに、政治と経済の世界に踏み込んでWU(世界連合)の構築と地球主義が芸術活動の実現をも可能にするという話は、コスモ夢舞台の現状とはいささかかけ離れているといわざるを得ません。