2006.11.15
遊歩道開通

里山アート展会場周辺の木を切っていて、すばらしい景色が見えはじめたとき、協力いただいている地元の有志の方の口から、来年は「遊歩道を作ろう」という言葉が飛び出した。
それが、思いがけずに、今年、一部ではあるが開通した。

切っ掛けは、新潟県観光協会から地元のNPO経由で大阪の旅行代理店の一行がおみえになるということで、少しでもきれいな風景を見せようということになったからである。

道の開通というと少し大げさだが、そこはコスモ夢舞台流である。大枚を投じて大掛かりな工事をするわけではない。草を刈り、杉の枝を払い、掃除をして、昔からあるものを活かすだけである。
といっても、人手は必要だ。ムラの元区長Iさん、たまたま新潟市から来られていた農業指導担当のFさん、それに筆者の3人で小雨降る中、作業を始めた。何事が起こったのかと驚いて顔を出したご近所のTさんも途中から手を貸して下さった。

みごとに古の道が蘇った。ムラノ人々は、今の舗装道路がなかった頃、お墓に行き来するための道として、「ハカバミチ」と呼んでいたらしい。誰しもがいずれ行く道とは言え、そのままでは、余りにも夢もロマンもない。そこは、ネーミングの大家でもある佐藤さんが良い名前をつけてくれるに違いない。私有地が入り組んでいるので、公にはしにくいが……。

さて、翌日は幸い秋晴れの天気に恵まれ、佐藤さんがわざわざ出来上がったばかりの遊歩道を通って御一行様をご案内した。筆者はたまたまそこへですれ違ったので、挨拶をしたが、全員が無表情で下を向き浮かぬ顔をしている。豊実では久しぶりに見る人間の表情だ。
後で、NPOの担当の方から聞いてわかったことは、この秘境の地に来て、いわゆる一流の豪華高級ホテルや日本海の蟹等の特産物、大量の人数の受け入れ態勢を期待して来たらしい。

彼らにとっては、まだまだ、「観る・食べる・遊ぶ」の「るるぶ」が主流なのであろう。同名の雑誌が廃刊になり、旅の目的も多様化して「作る・語る・学ぶ」に変りつつあるというのに、いつまでもそこに留まっているしかない。目先の金銭的ノルマに追われる現場の担当者が最も出遅れるのは世の常であることは理解できるが、仕方がない。

まあ、それは余談としてこの日の成果は、前倒しで遊歩道が出来たこと。「そんなにすばらしいですかね?」と言いながらも力を貸してくださった元区長のIさん。定年退職後、豊実に帰ってきたが、耳に多少障害があり、近所の人とも余りコミニュニケーションが取れにくかったというTさんが初めて参加してくれたことである。

もしも、R459沿いの杉の木がなかったら、中国の桂林に優るとも劣らない景観であるといつも思っている。その阿賀野川沿いの紅葉も例年に比べて、早くから長い間きれいであるとムラの人々は口にする。
その静かな場所に、また一つ道と人が輝いた。(K.M)