2006.12.16
水鏡の顔

朝、いつものようにリキはクンクン小さな声で散歩の催促をしていた。以前の散歩とは違い、ぐいぐい紐を引っ張る。そこで紐を離してみたら一目散に目的のところへ走っていった。人生に目的があるということはこういうことか。人間にも大切なことをリキは教えてくれているいる。

目的地に着くと、私はリキの関心ごとをほうっておいて阿賀野川を眺める。川面は毎日変化している、一日として同じ表情は見せない。
青空は見えなく、しっとりとした朝である。柔らかな霧が山の中腹くらいから上を覆っている。水面は今日も冬の山の木々を映している。それはまさに鏡のようである。そして霧も動かない。
昔、「時間よ止まれ」というテレビドラマがあったが、そのように時間が止まっているようだ。

しばらくして、私はリキに「行くぞ」と声を掛け、もう少し先まで小径を歩いて行くと、リキは付いてくる。小径の刈り払いをしたところまで来て引き返す。すると目に入るのは赤い虹のような橋である。子供のころ、この川岸を歩いていたが、そのときには考えられなかったような大きな橋が今、そこに架けられている。

高度成長時代を経て日本は大きく変ったが、豊実にも変化はやってきた。
橋ができて舟を使わなくなり、この小径も使われなくなった。そして今、過疎化が進む一途である。人生半ば過ぎにして、そこへ私は帰ってきた。
この風景を毎日見ていることが精神面で私に何か影響をおよぼすのだろう。

ところで人の寂しさを埋めてくれる一つに音楽がある。私は石夢工房で制作するときもCDで音楽を聞く。
縁あって、この寂しくなった郷里に仲間と夢舞台を作っている。それは私にとって好きな音楽を聞いているようなものである。音楽なくしては人生つまらない。
ふくろう会の仲間が帰ってしまった今の季節、そう思って今朝も小径を歩いた。(佐藤賢太郎)