2008.07.06
15回EUジャパンフェスト報告書を手にして

15回EUジャパンフェスト報告書が送られ開きまして事務局長の古木修治さんの文章を読み終え、私は感激を致しました。私には展示会で受賞など縁がなくなっていたのですが、まるで何かの大賞に選ばれた気持ちでした。

はじめに、にありますようにトップニュースに一喜一憂している。とありました。私は新聞を見るものの、豊実にいると全然そんな感覚が起こらない。人は一喜一憂してそれで人は何をしているのだろう。きつい言葉ですが暇なのでそうしているのでしょうか。何もしていないのでないか。そう思ったら何か行動することです。心配する暇は私にはなく夢舞台つくり、作品つくりに走っている毎日です。

さて私はアートを志した端くれとして郷里に帰りアートで一体社会に何ができるのだろうと考えている。

その前に古木修治さんは「アートを通じて、私たち一人一人が、生きることを見つめ、考え、語る」その行動に支援すると言っていました。まさに私はアートが何のために必要存在なのだろうとも考えている。美の鑑賞するためだけではない、私は大した作品も作れないが、それ以上のところに存在意義があると思っている。

生き方を考えるだろう。便利さ、快適さ、効率優先でない、自然の一部として自覚した縄文人が縄文土器を作るような心いきからはじまる創造的生き方に意義があるのだろう。

お金とアートについても書かれています。私はお金を得たくて彫刻家になったのでない。才能もない人間が出会いと自然発生的に彫刻家の道に入ってしまった。20数年その年暮らしはいまだ続いている。生かしてくれているんですね。先日ある方が佐藤さんは彫刻でないことに日々感動して生きている、彫刻をしなくてもいいのではと言われました。人生に感動する為にこの道を選びました。

そんな私が里山アート展を開催する。確かにわずかでも助成金は助かります。せめて作家の交通費宿泊代が集められたらそれでいい。名もない里山アート展に共感してくださる作家が今まで以上に集まってきてくれますことは不思議であります。名誉も地位もお金も当てにしない、この里山アート展によくぞ参加してくださる、ありがたくもそんな作家もいるんですね。夢はもつべきです、行動すればこそ感動はやってきます。

アートによる町おこしについても語られている。郷里の豊実はアートとは無縁と言っていいくらいなところでした。田圃に作品らしきものを置いたところ、地元の方が「なじまないね」の第一声でした。

町おこしの為に始まったわけでない、見捨てられてゆくような過疎の田圃に作品を置いて自然を見ていただこうという夢であったのです。それがそれだけで終らない、今年は景観を作ろうそこまで進みました。何千人とはいかないものの誰も訪れることのないところに人が来るのです。アートだけではいけません。それも考えるのがアート力だと思う。芸術村を作ったら町おこしになるとか、どこかの芸術祭のように宣伝する、そういうやり方でない歩みをしています。

後半に目を通すと私たちの名前が出てきて驚いた。地元でもあまり目に留まらないそんな活動に、日本は勿論外国にも広く見聞されている委員会に取り上げて嬉しい限りであります。。

悩める現代社会において私はアート、農、教育、景観再生これをもって魅力ある空間を作り、元気になる日と作りをしたいと夢を描いています。勿論共感する人の力があってです。その意味においても古木修治さんの言葉を読んで感銘するところが多くありました。(佐藤賢太郎)