2011.02.22
本物と向き合う7
宮沢賢治
佐藤賢太郎

宮沢賢治といえば、『雨にも負けず』の詩を多くの方が連想します。

この詩は、いろいろな機会に何度も出合いました。この度、あるところで覚えましょうということになりました。今、私たちは玄米菜食の生活になり、「まるで宮沢賢治の世界ですね」と言いながら家内と暗誦し合っています。

「雨にも負けず、風にも負けず、雪にも、夏の暑さにも負けぬ、丈夫な体をもち、、、、」次の言葉が出てこない。と、すかさず家内は「あなたに足りないものだから出ないのよ」と言う。

「欲はなく、決して怒らず、いつも静かに笑っている」そうだそうだと復唱する。本当にそうなのです。まったく反対の性格の私であります。続いて、「一日に玄米四合と、味噌と少しの野菜を食べ、、、、」また止まりました。家内はまた、私の足りないところと指摘します。自分だってそうじゃないかと思いながら、ともかく素直に出だしを聞く。

「あらゆることを、自分を勘定に入れずに、よく見聞きし、分かり、そして忘れず」たしかに、いつも自分を勘定に入れる私です。

 最後に「みんなに、木偶坊と呼ばれ、褒められもせず、苦にもされず、そういうものに、私はなりたい」。『雨にも負けず』はそう締めくくっています。

私は「木偶坊」と呼ばれたくはなくて、みんなに認められたいのに、全てできていないことばかりです。ただ玄米を食べているところだけが同じです。

私が、宮沢賢治の詩のような人間になるのは、終焉をむかえるまで無理かもしれません。いや、きっとあの世に行ってからも修行しなければならないでしょう。

しかし、こんな不思議な気分になのも、本物と向き合おうという強い気持ちがあるお陰かもしれません。