2008.06.21
蛍と重なる我が想い

ふるさとの原風景を取り戻そうとコスモ夢舞台の風景に蛍の川を描いた。
   いつでも流れる水の小川がなかったので小川を掘るユンボ機はある地元土木企業から借り、私はユンボの運転ができないので知り合の方に頼んだ。2年くらい蛍は現れなかった。それもそのはず、蛍が発生する大切な6月に水が止ったりしていた。そして水が常に流れるように仲間と地元の有志と悪戦苦闘して水路の給水口を完備した。昨年蛍の数はすくないものの見事に発生した。

かつて私が小学生のころ、この田圃には蛍が群生していたことを覚えている。やがて田圃を作らなくなり蛍も消えたようである。蛍がみられなくなり何十年もなるか記憶にないよ村の人は言う。

蛍が復活した第一の要因は水が常に流れている状態を作るということ、除草剤などの農薬を最小限に抑えるということに尽きます。

今年、蛍観察に家内と夕闇に田圃に行った。道路から見るとほんの少し、5匹しか確認できなかった。そこであぜ道や蛍の小川、蓮池を歩いてみた。アッこの田圃に一匹この田圃に一匹、水路に2二匹、蛍の小川にも3匹、蛍が茂みであちこちに蛍が光っているじゃないですか。中には力強く光中には今にも消えそうに灯している蛍たち。

よくぞ生きていてくれたと感謝である。何せ蛍の発生するところには街路灯が煌々と照らされている。これでいてよくぞ蛍が出るものだ。勿論街路灯の光が暗い部分にかろうじて健気に蛍が点滅しながら灯している。
  これを見ているとコスモ夢舞台つくりをしている私たちの姿と重なってきた。私たちはコスモ夢舞台のスタートから周囲からあまり理解されていないが灯火を点滅しながら光らせている。私はどこまでも努力しゆく、人間関係や労働や資金やいろんな難しいこともあるが、夢の架け橋を自分が夢を描いたことに賛同する仲間を募って作ろうと思う。私はここに力を入れる。そして蛍の光のように灯してゆこうと思う。(佐藤賢太郎)