2013.08.25
東松島からの訪問
佐藤賢太郎

8月24日(土)東松島市から7人の訪問者があった。グリーンツーリズムの繋がりで、震災前に大江公子さんと知り合いになっていた。そして震災支援のために、その後3度ほど東松島市に伺っていた。

その東松島の大江さんから、8月24日に伺ってもいいですかと電話を頂いた。メンバーは判らなかったが、佐藤マキ子さんの食事を頂き、コスモ夢舞台を見学、そして話を伺いたいとのことでした。

大江さん以外は初対面の方々で、それぞれ保育士、職員として勤めているそうです。職場では合併によって人間関係の難しさからかなりストレスがあるようです。食事をしながら、健康について、ガンについてその他話をしました。家内もガンの大きな原因は心であると、自らの体験を通して話をしました。そのストレスをどのようにして超えるのか聞きたいようでした。今までは馴れ合いの中で暮らしてこられた職場であった。しかし合併によってそうはいかなくなり、人間関係がギスギスしていると言っていた。そうしたなかで大江さんは99パーセント相手の欠点があっても1パーセントで良い点があれば、本人でなく他人にその良いところを話すことによって、まわりまわって相手との人間関係が良くなると言っていた。 

ところで大震災は3月11日でしたが、4月24日に大野さん、御沓さんと石巻の高橋家の泥片付けをした後、津波に襲われなかった東松島の大江さんの家に泊めて頂いた。翌日、震災あとを視察した。その折、大江さんは私たちのためにやっと手に入れたトロの刺身を夕食に出してくださった。私はもともと魚が好きであったが、ガンを治すために、ご厚意に大変申しわけありませんが箸をつけませんでした。それを見て大江さんは、私の徹底している姿に驚いていたと、当時を語ってくれた。なかには私はそんなことできない、という方もいた。

さて、美術館から滔滔亭、蔵銀河、田んぼを見学。さらに悠悠亭に案内したところ皆さん急に元気になり、裸足で水の中に入って感激していた。こんな気分になることは、日頃ないようであった。彼女たちも子供の頃はそうではなかったと思う。大人になっても、こうして無心になって子供のように感動し遊ぶ心が必要であると思えた。

 私が「来たバスに乗れ」と題して講演をしますと言うと、あるご婦人は「私はできない」と言う。「私は来た車に乗せられた。大江さんが無理やり誘うので押されてここに来ました」と言います。すると、大江さんは「乗る癖をつけなくてはいけません」と言った。

皆さん公務員の職にあって、危ないことはしたくない。規制の中で生きている意識が強くて、飛び出そうとしなくなっているように思えた。だから、自由に動く私をうらやましいとも言った。大江さんは、そんな中にあって太っ腹である。美術館見学の時、私の彫刻家になるその過程を聞いてご主人が公務員であるためか「主人が賢太郎さんのようでなくてよかった。」と笑っていた。

最後のお別れが面白かった。一人一言お礼の言葉を言いましょうと大江さんは言った。それぞれが来てよかったと異口同音に話されていた。最後に大江さんは先日高校生に挨拶の仕方を教え来ました。それを見なさにもやっていただきます。というと早速「一列に並んで指を揃えて、大きい声でありがとうございますと3回言います。」大きい声で3回行って、それではこれから帰りますと言って別れた。よくやるよね。利口なあなただったらやりますか。

始めは曇っていた皆さんの顔が見違えるように生き生きして、素晴らしかった。大江さんは人を引き付ける力がある。リダーとしての資質があります。決して利口ぶる人ではない、だから彼女の周りに人が集まるのだろう。

「みなさんとても喜んでいました、また会いましょう」。東松島に無事帰った大江さんから電話を頂いた。

それにしてもよくぞおいでくださったと心より思いました。ありがとう大江さん。