2013.06.30
「田中教授の最後の講義」を読んで2
佐藤賢太郎

 論理的でない行動パターンの私は、あちこち目に留まったところしか書けないので著者にははなはだ申しわけないが、きまま勝手に書くことにします。

田中さんは「人は見たいものしか見えない。」と言っている。私もそうかもしれない。自分が幅広い視野があると思っている人も、そうではない場合が多い。なぜならそれは、その人の行動が何よりの証拠と思う。

 「価値観はことばでできている」この言葉を見た瞬間、私には受け入れがたい抵抗がある。私はどうして、こうした言葉に抵抗感があるのだろう。しかしながら一方、こうして私はことばを並べている。それは決して言葉の遊びではない、実践である。

田中さんは言葉なくして価値観は表せないという。その通り、私も言葉で私の価値観を伝えているではないか。そこに行き着くと、価値観はことばでできているかもしれない。それに家内は言葉によって凄い反応を示す。激しくぶつかり合ってきたのも価値観と言葉の関係だろう。

 最近大学生や若い方と接する機会があって、私の言葉が伝わることを感じ嬉しくなる。それは何か、やっている行動が一番であることは言うまでもない。しかし対面すると、彼らと繋がるのは言葉の価値観である。ともかく行動によって、私は価値観を積み上げてきたと思う。

しかしその積み上げは、アートやラグビーのように走る運動ばかりではない。言葉が大きく影響していると思う。朝5時から始まる朝起会で倫理の勉強を繰り返し、価値観を構築してきたことは事実である。抵抗があるとすれば、論理や言葉を大切にしている評論家や大学教授という方々に信頼しにくい人間を見るからであろう。

 田中さんは就職試験に合格する学生、採用されない学生の差は、仕事に対する価値観を前者は人生の一部で、人間としての成長の機会、生活の基盤と考える、後者は競争社会のなかで負けることもあるので、できることなら避けたい、というところにあると言う。高い価値観を持っていれば面接も恐れることはないない、つまり高い価値観を作り上げることが大切なることになる。それは言うまでもないと思う。どうしたら高い価値観を積み上げるかそれが見つからないのでなかろうか。当然若いからどうしたらよいか解らないのも当然である。だからともかく好奇心をもって当たってみることだろう。無難な生き方しかしていないと、いつまでも高い価値観は創れない。

 失敗もするだろうが、恐れてはならない。自分は傷つきたくない、しかし、何もしないで殻に閉じこもってはならない。田中さんは失敗だけが成長機会と言うが、私もそれは同意いたします。

 論理的に話を進めることは私にはできないが、私はコスモ夢舞台の活動では、必ずしも論理的ではない人と接することが多い。そして作品を作るときは非論理的、どちらかと云えば言葉がない世界である。

言葉足らずではありますが、読後の感想をかいつまんで自分勝手に書いた次第であります。