2013.08.20
嬉しかった余韻
佐藤賢太郎

 新潟大学のWホーム10人が里山アート展の作品つくりを終えて帰るところに、京都から安旅をしている大学4年生の男子が豊実の駅で降りました。家内が聞いたところ、北海道まで汽車で旅をするとのことでした。洗濯したものを歩きながら干しているようでした。 

家内は、お腹が空いているようだと食事を無料で差し上げ、私は桃源の湯を使ってもらおうと風呂をすすめると、大変ありがたがっていました。そしてその時、彼は洗濯もしていました。

来年は大学院に入るそうで、その前に15万円貯め、こうして1ヶ月の旅をしようと行動されたようです。なんと逞しいことかと思った。

 その日の夕方、新潟大学のWホームの一人から電話をいただいた。「今日はありがとうございました」とお礼の声を聞き、私は嬉しかった。こうしたちょっとしたことが、人間関係を深める上で大切であります。ましてや、将来教育に携わろうとするなら、こういう配慮ができないといけないと思う。そして「1年の女子学生が佐藤さんの言葉に感じ入っていました。」と報告がありました。私は全然期待をしていなかったので意外でした。さらに、夜更けまで大声で話していてねむり付けなかったと苦言すると、彼女は素直に謝った。この素直さ、反省する素晴らしさは欠点も長所にしてしまうものです。自己中心主義の学生なら「私たち若い者の気持ちも知らない大人だ」と言うところでしょう。

 私は、この大学生の里山アート展参加受け入れで何を得られるか自問しました。まさにこうした体験は、金銭に置き返れない喜びであります。それだけに、機嫌を損なったらという遠慮はしません。 

それが嫌なら、そのような人とは付き合わないだけです。私に残された時間は、そんなに長くはないからです。