2006.03.25
御沓 一敏
次の世代へ伝えるもの(2)

先日、2歳4ヶ月になる孫(男の子)に手作りのおもちゃを与えている話をさせていただいた。
今度は、おばあちゃん(妻)が昔話の「猿蟹合戦」を読み聞かせている。自分の子どもと違って、おばちゃんともなると心の余裕があり、穏やかに、丁寧に孫からの質問に答えている。
その後で、妻曰く、「現代は、昔話が判断力のない子供に悪い影響を与える」ということで、アレンジされたり、省略されたり ダメ扱いされているそうだと教えてくれた。

そんなことがあるのかと思いながら、インターネット上で検索してみた。出るわ、出るわ、「差別、いじめ、仕返し、戦時中、国家レベルで悪用された」等々。こういう視点を持っていなかった自分は何なんだろうと思いながら、でも何かおかしいなと感じた。

ただ、このホームページは昔話の是非を議論するような場ではない。あくまで62歳のおじいさんが2歳4ヶ月になる孫へ伝える話として聞き流していただきたい。

もちろん、私の年代は、昔ながらのバリバリの「桃太郎・猿蟹合戦・浦島太郎等」で育った。その他にも、父親が与えてくれた童話の本の心地よいリズミカルなフレーズが今も、口をついて出てくる。そして、極めつけは、小学校4年の担任の先生(男)である。放課後、ほとんど毎日、物語を読み聞かせてくれた。さらに、読書感想文を書くように導きながら、心のこもったコメントをくれた。このことが、私が本を好きになった切っ掛けであり、その後の、いろいろな本との出会いが私に大きく影響を与えてきた。

さらに、60年余りの人生を振りかえって思うことは、人との出会いに恵まれたということ。特に彫刻家佐藤賢太郎さんとふくろう会の方々との出会いは、人生の後半を豊かなものしてくれる。さらに、ここで出会った「縄文文化」は、ロマンに満ちあふれていることが学ぶほどに感じられる。

1万年も続いた平和な時代の存在を知ったとき、自分の持っているすべての物差し(スケール)を大きくしなければならなくなった。と同時に、疑問に思ったことは、何故、私たちは、終戦後まで「縄文」が教育の現場で教えられなかったということである。それは、皇紀2600年を超えたスケールの史実はそれまでの歴史教育と矛盾するからだということが分かった。

ところで、柳田國男は「妖怪とは後代の神によって征服された前代の神およびその眷属(けんぞく)のこと」と規定しているとそうだ。ここで言う妖怪を「鬼」と置き換えたなら、鬼退治の話は人類がはじまって以来、続いてきた話ではなかろうか。

とすると、冒頭の昔話が現代の子供に与える影響云々というような、あれは駄目、これもいけないという否定的な縛りの中からは、発展的なものは何も生まれてこないと思った。
孫には、酸いも甘いも経験した中で自らが選択できる判断力、物事を大きく捉える目、史実を正しく見つめながら良い点に学んでいく姿勢を身につけさせてやりたい。

きび団子ではない、無償(見返りを求めない)の働きを基本とした人間関係づくりを楽しみながら、縄文に学んで、今の時代を見つめなおし、活かしていく生き方こそ「コスモ夢舞台」の真骨頂であり、次の世代へ伝えるものである。