2007.01.17
御沓 一敏
次の世代へ伝えるもの(4)

上の男の孫も3歳になり、ますます口の達者な点に磨きがかかるとともに、動きもさらに活発になってきた。
テレビの影響も大きくて、あるとき愚妻に向い、「ライダー キック」と言いながら弁慶の泣き所を思いっきり蹴っ飛ばしてきた。

さすが、おばあちゃんには余裕がある。頭ごなしに叱り付けるのではなく「歩くために神様が下さった足をそんな風に使うと、神様から足を取り上げられちゃうよ」と切り出した。
孫はその言葉に一瞬ひるみ、「足がなくなるとどうなるの」と訊いてきた。おばあちゃんは片足で立ちながら歩けなくなる状態を説明すると、今にも泣き出しそうな顔になった。
「それでは、おじいちゃんと3人で神様に向かって、お詫びとお願いをしましょう」ということになった。
祈りごとは「もう、蹴っ飛ばしたりしませんから、神様どうぞ、足を持っていかないでください」ということであった。その日だけは、孫も神妙にしていた。

“小さいうちは、言うことを聞くのは当たり前”といえばそれまでだが、今だから伝えておきたいという思いもある。
私は、コスモ夢舞台の蔵・銀河(縄文館)をご案内するとき、訪れてくださった方に対して、米粒やあらゆる物の中に神様が存在するという昔、祖父から聞いた覚えのある話をすることにしている。
大人の方は懐かしそうに、子供さんは静かに聴いてくれる場合が殆どである。

地震・雷・火事・親父といって怖いものの代表に入っていた親父の権威が失墜するとともに、私たちの子供のころには怖かったおまわりさんや学校の先生、お化けや幽霊の類までが恐ろしいものではなくなった現代、毎日、忌まわしい事件ばかりが起こっている。

「すべてに魂が存在する観念の生活」こそ、縄文人に学ぶべきではないかと常々思っているし、今年も蔵・銀河(縄文館)の中でそのことを伝えていきたいと思っている。