2009.8.19
「リトアニア紀行」を読んで
森 紘一

 賢太郎さんの紀行文を読み進むうちに、リトアニアという北欧の国が身近に感じられ、親しみがわいてきた。また、EU・ジャパンフェスト日本委員会の古木さんはじめスタッフの皆さんが、欧州世界と日本の架け橋となって活躍する様子がリアルにうかがえて、新鮮な感動をおぼえました。

 「無名で小さなコスモ夢舞台の活動に対して目を向けていただき、光を当てていただいたことに感謝します」と最終稿で賢太郎さんはEU・ジャパンフェスト日本委員会に謝辞を述べているが、我われも全く同感である。

 「私は外国の人々とは、違いを認め合うところからスタートするように心がけています」という賢太郎さんは、リトアニアの明石大使に「国際交流で大切なのは、英語を話せる以上に日本の文化をもっと私たちが語れることだと思います」と話しかけたようだ。

 その点では確かに、音楽や写真、あるいはアートなどの創作活動は、言葉の障害を越えて国際交流に果たす役割は大きいといえるかもしれない。人とひとの出会いや結びつきが、国や社会のシステムに縛られることなくスムースに運ぶことは大切なことである。

 コスモ夢舞台の「里山アート展」は今年で第6回目となるが、お陰様で外国人を含めて制作参加者もふえ、会期中の来場者数もふえ続けている。大自然の中で稲刈りの終わった田んぼに置かれた作品群は、それこそ自然と一体になって、支え合い、助け合うことの大切さを観る者に訴えかけているかのような迫力である。

今年はそこに、地元の人々を中心とした「2009奥阿賀・田んぼ夢舞台祭り」と「ビオトープコスモ夢舞台つくり」が加わることになった。これもまた地域社会の連帯を強くすることになるだろう。

都会はもとより地方でも、我われの暮らす社会にただよう閉塞感は一体どこから来るのだろう。バラバラになった個人個人が共有できる世界をどう広げていくことができるか、これは現代人の課題であり、コスモ夢舞台のこれからの大きなテーマでもあるようだ。

リトアニアの地で賢太郎さんと古木さんは、「時には、異空間に自分を置くことが必要だね」と話し合ったという。

この秋、一人でも多くの来場者が豊実のコスモ夢舞台にお越しいただけるよう、我われも地元の人々と一緒に心していかなければとおもう。