2012.12.05
ガンを克復する過程
佐藤賢太郎

ガンになる

町の集団検診で異常あり検査必要と通知があり近くの病院に行った。県立病院でガンの疑いもあるのでガンセンターで調べてもらいますかといわれ、2010年10月新潟県立がんセンターで検査していただきました。結果(前立腺に10箇所針を刺して調べて結果8か所ガンが見つかった)、前立腺がんと判明し、放射線もできないあなたは手術以外に選択する余地はないと医師に告げられた。

まさか私がガンになるなんて。健康であって私の人生が成り立ってきた。死も覚悟しなければならない人生の一大事になった。

無知・間違った常識

その時、私はガンについて全くの無知であった。知っているのは早期発見早期治療であった。ガン治療はがんセンター、大学病院などで西洋医学でしか治らない。余命宣告をされたらおしまいだ。などという間違った常識しかなかった。

そんな折、上京した折「ガン・治る法則」という本をさりげなく友人は私に手渡してくださいました。帰りのバスで読みました。それは「エッ?」と驚くような内容でした。著者NPOがん患者学研究所代表の川竹文夫さんはこれらを覆すようなことばかりでありました。ガン患者には希望を与える内容でしたが、本当だろうかという半信半疑でもありました。

代替療法や民間療法はマユツバで信じられない。食事でがんが治るなら医者はいらない。心でガンが治るなんて信じられない。こうした常識があったからです。

運命の分岐点

しかしながら私はこの本を読みながら一般常識のようにガンを治すには早期発見、早期手術しかないと思っていたが、選択肢としてはどうもそれだけではないと思い始め、直ぐに手術ということはしないでおこうと心が傾きました。

決断しなければならない日がやってきてガンセンターに行きました。、医師は初めから手術を選択するように決まっていたが、医師に「それでどうしますか?」と問われ、私は「手術はしたくありません」と言えず、代わりの言葉には決めていません」と答えました。医師は憤慨したようすで「今日は何しに来たのですか」と言いました。医師には私に言うことがあったのですが、私は帰りのバスの時刻がきたので勝手に雪道を帰ってしまいました。もうこのように動いてしまったのです。

それから私はガン患者研究所から発行されている本を真剣に次々と読み漁りました。ビデオも見ました。なぜガンになるのか、ガンの本質とは何か、そして治るには何が必要なのか、そうしたことを懸命に毎日読みました。西洋医学の限界、医師の限界、何が迷信なのか。そうしたことを知れば知るほど即刻手術する気になれませんでした。しかし、手術をしないということは私にとって命賭けでガンに克復する戦いでした。

竹文夫代表も手術も選択肢一つ、絶たしないことと否定してはいなかった。不安もあったが今私は個展も控え、どこも痛くもないならこのままでゆこうと思った。しかし間違えば死はやってくるのです。

て、ガンセンターから手術を促されても返事もしないでいると、ガンセンターの医師より直接電話をいただきました。「今、私は代替療法をしています」というと、「ご自分の命ですから強制はしませんが、せめて診察は受けてください」という答えでした。私は「喜んで診察は受けます」と感謝の言葉を述べました。

ガンになる原因は

ガンは自分で作った病気であり生活習慣病であること、自分で責任をとることと指摘されました。そしてガンは今になったのでなく長い時間をかけ自分で作ってきたものだと。

1.   心の乱れ(ストレス)

2.   食事に乱れ(欧米型食事)

3.   ライフスタイルの乱れと川竹文夫さんは説いていました。

食事に直し

その見直しとしてできるところからからスタートしました。まず食事を玄米菜食に徹底的に変えました。ガン患者学研究所の指導にできるだけそった食事に改めました。肉、甘いもの、酒、冷たいもの、卵、牛乳を食べない、果物も制限する。「まごはやしいこ」の実践です。結果体重はどんどん減りました。生活習慣をがらりと変えました。

さてその後(玄米を食べ始めて一ヶ月)、福島県のある病院で血液検査をしたらPSAの数値は4.3に下がりました。そして一ヶ月後(2月28日)PSAの数値は3.2と信じられないほど下がりました。ガンセンターで調べるとどういうわけかPSAの数値は4以上になっています。

3か月ごとにガンセンターに検査に参りました。検査結果でガンが進行してはいないか内心怖かった。そのたびに医師に手術する気になりませんかと催促されましたが、医師に従わず「しません」と答えるだけであった。

心の見直し

一番大切なそして一番難しい課題であった。いったいどこが私のストレスなのか、心の乱れなのか解らない。まず思い当たるのはNPOコスモ夢舞台理事長としてあれもこれもと忙しく、イベント開催、準備、建設工事などで猛暑肉体の酷使をし、人間関係のストレスがあったのでないかと思い浮かんだ。

それだけではない、1・人に評価してもらいたい、2・自分の考えが絶対と思う気持ちが強かった、その思いを通したいためのストレス。3・一見外からすると仲の良い夫婦のようだが、長い間葛藤の連続であった。今思えばこれも大きいストレスになっていたのだろう。

人格向上を目的に長い間学んでいた倫理はどうなのかその成果がなかったのか。

つまり今までの自分を否定しなければならないことになっていた。この自分を否定することはとても難しいことであった。ここまで歩んできた実績もあった。ここまでやってきた誇りもあった。それをすべて否定しなければならないのだろうか。自分を変えると言うことはそういうことだと言われているようであった。

しかしガンを治すには川竹文夫さんが説くには、自分を変えることが必要条件であった。自分の変えるべきところを迫られていた。

ところで命がなくなるということは私の人生ではまだ考えられないことであった。健康が当たりまえ、それでどうにか今が成り立っていた。その基盤がなくなると言うことであった。

私は友人と二人展を控え冬の工房に立っていた。今まで揃えた道具ともお別れになるのか。この工房ともお別れになるかも、コスモ夢舞台の友とお別れになるかも知れない。

ガンを治すため、ガン患者学研究所の指導にかけて努力する。結論は今を精一杯生きることしかない。今までに感謝することである。今の心境で油絵も描くし、想いのまま作品を制作することだけであった。

ライフスタイルの見直し

この点には自信がった。早寝早起きをしていたはずだがどうしたのだろう。思当ることとして里山アート展時、仲間が来ると就寝が遅くなることがたびたびあった。この点は義理人情より自分の命を守るため、皆にもお開きにしていただくか私は9時には就寝のため席を立った。しかし生活スタイルそれほどでなかったと思う。やはりストレスが一番の要因であろう。

3ケ月点検

2011.09.07タイトルは自動車の点検ではありません。私は医師から悪性のガンと診断されて以来、手術をしないで検査だけは受けることにしまして3ケ月おきに病院行っております。それが3ケ月点検です。

本日、血液検査とMRIの結果を医師から伺うことになっていました。検査日は、正直緊張感を覚えます。もし悪くなっているとして、迫られても手術はしないで行こうと静かにそう思っていました。

結果、主治医から「MRIで異常は見つかりません。血液検査の数値も少し下がっています。しかしガンが消えたわけでありません。あなたの場合は要観察の段階ではありません。医師としては看過できません。患者の強い希望でそうしているので、あくまでも自己責任です」と言われました。私は「はい分かっております。ありがとうございました」と感謝を述べました。

私はもっと努力して、次回の3ケ月点検では今より良い結果を出したいと思います。

私は一日生涯3ケ月の人生になりました。神は必要あって私にさまざまなモノを与えるのだろう。私にガンを与えるのも必要あってなのでしょう。生き方を変えなさい。60歳を越し、否応なしに私は、ただ思うだけでなく実行することを迫られました。

それは欲望を捨てることです。我欲を削ることです。シンプルに生きることです。

この世に生まれて、友や仲間、知人といつまでも付き合えるわけではない、一期一会であると思う。夢や希望をいつか叶えようではなく、今実行してみること。悔いのない人生を歩みたい。

私は良き友人に恵まれ、良き家内に恵まれ夢を実現しようとしている。それは私だけのものではなく、心ある人には共感できる夢である。本来あるべき姿を実現しようとしている。歩きながらたどり着いてきた。ものを無駄にしないリフォームをはじめ、手作り里山アート展、田んぼ夢舞台祭り、ビオトープ、無農薬野菜、コメつくりと、気が付けば15年たっている。

そしてガンになり私は食に関心を持った。シンプルな食。塩と醤油と味噌。それだけが調味料。しかしそれは今までの何倍も高い価格の物を使う。野菜の穀物のそのものの持つ力、味を知ることになった。

私は食と心、生活サイクルをシンプルにする、これによって病気を治す決意であります。これにかけてみる覚悟でもあります。

くの友人より心に掛けていただいていることに感謝しています。ともかく青空のように里山アート展準備にかかれて感謝一杯です。ありがとう、ありがとう、生かされた命に感謝いたします。

やれることは何でもやろう

2012も1月2月個展の連続であった。ハードスケジュールであった。無理をしてはいけないと言うのがガンの治る条件であった。自宅なら食事も家内の作ってくれる、玄米採食でコントロールできますが1週間も外泊する生活はどうしたか。私には有難い仲間がいてくれ、玄米採食する友の家に泊まることができた。そして個展開催は疲れるはずなのに、むしろこの期間元気になったから不思議である。

私はいのちの田圃の本を肌身離さず持っていた。治った方の実践を読み勇気をいただいた。しかし手当の研修や講演などにはすぐ動かなかった私だか、もう一歩行動することにした。上京した個展を挟んで手当の研修にも参加し、そしてその後セミナーのために再度上京し川竹文夫代表はどんな方なのかセミナーで初めてお会いすることにした。友人からビワの葉、ビワ茶をいただいた。半身浴、気功を自前で行った。治るために私は努力した。これでだめであったとして本望であった。

健康を考えるフォーラム開催

2012年7月「ガンをはねのけ生き抜く力」フォーラムを開催しました。開催の狙いは、聞くだけでなく自分が企画して私も、多くの方も健康を考える機会をつくろうとしました。私が治ったわけでもないのに前向きに企画したフォーラムでした。

ォーラムのきっかけは私が仙台のセミナーに参加し、佐々木様にお会いし感動して、その後「いのちの田圃の会」会長で日本ウェラー・ザン・ウェル学会主席研究員である佐々木英雄様に快く講演の承諾いただき、この企画をたてることができました。関東の仲間はもとより、新潟県の遠路からの参加者、地元の方、福島県会津若松市、喜多方市等々の友人知人が多勢集まり、会場は予定をオーバーして総勢61名になりました。

はじめに私から「私の選んだ道」について20分ほど、その後「私はこうして治した」と題して佐々木英雄様に1時間ほどお話ししていただきました。参加者の方々にはとても心に残る内容でありました。

さて、フォーラムの後に和彩館にてマクロビオティック料理の昼食会を企画したところ、参加者は50名となり会場は熱気に包まれました。勿論、肉、魚、卵などは一切使わない玄米菜食の料理でした。しかし、皆さんとてもおいしかったと満足していただきました。最後は玄米コーヒーも出させていただきました。前々日から、家内が創造した料理でありました。この家内の協力なしには到底でき無いことでした。

治る人はこんな人

1・疑わない人2・すぐ実行する人3・凡事徹底する人4・決断力ある人5・素直な人6・言い訳しない人7・条件を生かせる人8・捨てることのできる人9・謙虚な人10・徹底できる人

これを見て私は治る人に入っている。私はすべとは言えないがこの治る人の行動パターンをほとんどとっているとの自負心があった。

自然退縮おめでとう

2012・9ガンセンターに検査に行った。MRI、血液検査にも異常なく、転移もみられないという結果であった。医師は「画像に映らない場合もあります。治ったわけでありません。このままにしてよいと思わない」といつものように希望の持てない言葉を告げられました。しかしこのことを聞きつけてくださった川竹文夫代表から自然退縮達成おめでとうございますと言うメッセージをいただきました。私が自然退縮。川竹文夫さんには申し訳ありませんが、信じがたいことであった。そんなにガンが簡単に治るの?人は言う、何もしていないのでない、すごい努力をしている。あなたのようにはできないと言う。そして奥さんのお陰様ですよと。

ガンを治す決め手

ガン患者学研究所では、それは免疫力向上であり、人間の心のもち方となります。その心とは勇気、希望、夢、生きがい、ファイテングスピリッツ、自己有能感、自尊心、多幸感、感動、感謝、笑い、利他心、安心その他プラスの感情が免疫力を高める。これを見て私は確かのこの道を歩んでいると自信をもった。

プラスの感情をもてるには

人生のすべてを変えることにあり。一言で言えば人間関係、仕事との付き合い、考え方のクセ、生き方の意味、生育歴、価値観、潜在感を変える。考え方のクセ、潜在感などはかなり難しい。しかし人生を変えるにはこの見直しをしてゆかねばならない

る姿勢4つのレベル

自立これは相当厳しいことであるが、一番肝心なことだと私は感じている。以下川竹文夫さんが自立している人を語っている。

無知、依存、自立、利他これが4つのレベルであり、無知、依存から脱出して治るには自立することが大切である。自立とは結果に責任をとれる。100パーセントの保証を欲しがる、この治療をすれば必ず治るとか、必ず効果があるとか、ガン治療に絶対はない。自立の人は、どんな治療をするにしても、リスクはあると知っている。知っているけど、必ずうまくいくと信じて努力する。そのときそのとき、その瞬間に自分にできる最善を尽くす。たとえその結果が、残念ながら期待とかけ離れていたとしても、自分に引き受ける。そういう覚悟ができている。駄目だったら、また別の方法をすぐさ間行動に移す。

れはガンの治療に限らず人生に全てあてはまる法則だ。

私はこの自立は曖昧のようだが、ここに真実があるように感じている。まさに私はこのことをやっている。覚悟をしてこの治療を行っている。

自然退縮

多くの人は「自然退縮それは奇跡に近い」と言う。ガンを克服してがんが治った泉 健治さんの裏付言葉になるほどと思った。

自然退縮は10万人に一人、20万人に一人。なぜなのか。10万人の中で治療を断る人は何人いるか。治療を断って退院する人は何人いるか、3人くらいしかいないじゃないか。あとは医者任せ。次に手術を断って退院する3人の中で食事や手当など自分で努力して治そうとする人は何人いるだろうか。何人もいない。だから治った人は10万人に一名になる。泉さんは「そう考えると可能性がどんどん大きくなる」とおっしゃている。