2016.02.24
「幸せはガンがくれた」を読んで
佐藤賢太郎

ガンは今や日本人の2人に一人と言われる病気であります。私は川竹文夫さんの著書「幸せはガンがくれた」を読んだ感想の一部を書いてみます。2010年ガンになったことを知り、3年後3大療法をせず、ガンが治癒し健康でいる今に心より感謝しています。 

Q1.「幸せはガンがくれた」というタイトルを見てどんなことを考えましたか? 

ガンになったら、普通は何てあの人は不運なのだろう、まして自分がガンになったら幸せとはまるで反対の気持ちになり、何が幸せなのだろうと思ってしまう。それなのに、11人のガン患者はガンになったことが幸せであると言っている。一体それは何故なのか知りたいと思った。 

Q2.どのエピソードに感銘を受けたか? 

私はガンが治癒して、この本を読むのは2度目であったが、読み進むのに時間がかかった。読み進む中でここが感銘するところかと思ったが、その箇所にそれほど感銘もしなかった。

ともかく最後まで読もうと努力し、最後の第12章「ガンからの贈り物」に読み進んだ。すると本の余白に自分が書いた印象に残るメモがあった。

「とにかく今日一日生きていればいい」、「痛みをありがとうと受け入れる」とあった。そして突如赤のマーカーでびっしり塗られた個所があり、メモもあった。ガン患者あった片山紀子さんの「精一杯生きているのに、自分の生き方が間違っていることを認めることは辛かった」、この言葉を私は余白に書いていた。きっと私の事だと思ったから書いたに違いない。

しかも、「必然的にガンになった」とも記している。いつもせっつかれて、結局無理をして、背伸びして身のほど知らずに言ってしまったことに責任を取らなければならないと、必死になって追いかけている自分であった。思い当たることばかりである。

自分がいい人間と思われるかどうか、どうしたら自分が正しい生き方ができるかなど、“あるべき”を求める生き方であった。そして私はこの地域でコスモ夢舞台の活動を評価していただくことに懸命になっていたと思う。 

Q3.感想

川竹文夫代表は「ガンは治ることもあれば治らないこともある。不幸にして亡くなる人もあれば、亡くならない人もいます。大切なことは絶望的な状況にあっても、希望は常に存在するということです」と話された。川竹文夫代表に大変失礼ですが、極めてあいまいな、いい加減な言葉です。意味不明で一体どっちなのかと思ってしまう。しかし私は今、これが真実だと思います。ヤルカヤラナイカです。

自分がなぜこの病気になってしまったかではなく、この病気によって、私は何をすべきか、発想の転換が必要です。つまり、ガンになって何を学ぶのかということであります。 

“Weller  than well”  病から回復したのは、身体は勿論心も、病気になる以前よりはるかに健康になるという意味を今、私は感じています。

 再度読ませていただきありがとうございました。