2009.11.03
「アルトゥーラスとワークショップをしよう」を終えて
佐藤賢太郎

EU・ジャパンフェスト日本委員会から、新潟県を撮る写真家の撮影が終了したあと、その写真家を招いて“写真ワークショップ”はいかがですかと問いかけがありました。何でも受けて立つ精神のコスモ夢舞台としても、初めてこの企画に取り組むことになりました。写真のことはあまり解からない私ですが、今できる精一杯の努力でこの写真ワークショップを生かしてゆこうと取り組みました。

事前にワークショップの記事が新潟日報に掲載され、2軒の現像する写真屋さんにも宣伝をお願いし、町の広報をご協力のお願いをし、地元集落には回覧板でお知らせもしてありました。しかしながら午前の撮影会の参加者は、地元の方一名、県職員一名、新潟市内から一名、他はコスモ夢舞台の会員の計15名でした。

この撮影会のテーマは「私は里山アート展をこう見た」で、参加者はそれぞれ思い思いの写真を撮るようにお知らせいしました。アルトゥーラス氏との意思疎通をはかるため、地元中学校の英語の先生、校長先生、それに英語を教えている外国人にも参加をお願いしました。校長先生は里山アート展を初めて見学されたようでした。 

都市と田舎の交流を創りあげるコスモ夢舞台としても、その原動力となるメンバーの皆さんが写真によって新鮮な発見をされたことは大きな収穫でありました。

午後の「写真トーク」の時間には、阿賀町町長、教育委員長、教育課長、町役場の方々のご出席、ご協力をいただき、総勢20名以上で開催されました。

このトークは私が進行を行ないました。パネルボードに参加者がそれぞれ取った写真を一人3枚から4枚張り付け、それぞれがどんな想いで写真を撮ったのか参加者一人一人に伺いました。
   その問いに、参加者からさまざまな発言があった。
   「里山アート展をこんなにじっくり見たことがなかった」。
   「他人と自分を比べてこんなに違うのかと驚いた」。
   「写真というと孫の写真を撮る程度であり、アート作品に向き合ったものは初めて
    だった」。
   「見ていたはずの里山アート展が、写真を通して見るとこんなところがあったのか
    と驚いた」。
    「他人の写真をみて漫然としかものを見ていなかったと自戒した」。
    「アルトゥーラスの写真の構図をみて、本当に小さな溝のような小川がまるで滝の
     ように見えて驚いた」。
    「作家の気持になって写してみた」。
    「ここに居たいという気持を表した。大胆に生きるということができないので写真を
    通してトライしてみようとした」と発言される女性もいた。                     

次にアルトゥーラス氏は自分の写真について話をされました。「大地とのつながりを意識して、私はローアングルで作品を撮ろうとしている」と説明されて、参加者は一様に写真の出来栄えにさすがと頷いていた。

いままで何となく見ていていたものを、写真撮影することによってこんなふうに見えるのかという新しい発見を、参加された皆さんが体験されたようである。                   

「見ているのに見ていない自分、見過ごしているものを発見する」というEU・ジャパンフェスト日本委員会の写真プロジェクトの目指すものに、かなり近いものが捉えられたとのではないかと私は思った。

このことから私は、輝いて生きるということは教育や企業、行政にあっても、あるいはどんな職業においても、このような意識と姿勢が必要ではないのか、ここに創造力、アートの必要性があるのでないかとも付け加えさせていただいた。

彫刻家としてアートを制作した私の作品はそこに存在するが、それを写真にするというのは彫刻の力をかりるが、そのものと別に作品になることであります。極端に言えば彫刻を半分しか写さない、そのことによって立派な作品にもなる。彫刻はそれでは作品にならないが、写真はそれによって作品となるその発見が面白いと思った。

アルトゥーラス氏は参加者の写真をみながら、一人の方についてとてもよいと感じるものがあったと言った。この写真は光と陰というものを意識して撮っている。それは私が意識して撮っていることと通じるものがある、とお話しされた。参加者の皆さんから拍手喝采があった。アルトゥーラス氏は「写真は人と人を繋ぐことができる。」とも付け加えていた。      

参加者の皆さんは、これから写真を撮るときは、この貴重な経験を生かし写真を撮ってみよう、そして写真を見てみようと語っていた。さらにこんなに素晴らしい写真家に指導していただいたことに感謝もしていた。

反省としては、こんなに素晴らしい意見や感想をもたれることを思うと、もっと多くの方に参加していただきたかったということであります。

さて夕刻からのリトアニアとの出会い、交流というプログラムでは40名余の参加となった。地元の方5名、阿賀町の地区の方、福島県、アメリカ人の通訳、関東からの仲間たちと大勢の参加となった。

今年7月リトアニアで開催された新潟県の写真展風景やリトアニアでの見聞をプロジェクターで簡単に説明させていただいた。
   その後、アルトゥーラス氏と共に来日したエグレさんが持参したリトアニアの短編映画、そして写真展風景、それから2月の地元の方々とのふれあいの写真を映像で映し出した。
   アルトゥーラス氏に、リトアニアでは市民がこの写真展をどのように感じられたのか質問をしました。全体を把握することはできないが、「市民は写真をみて日本の原風景であると感じられたようだ」と簡単な答えがありました。

この企画のねらいは先の写真トークということよりも、過疎の地においてリトアニアの写真家アルトゥーラス氏を通し、リトアニアを知り、また外国人と話し合う文化交流の機会をもつということであった。

2月のアルトゥーラス氏の歓迎会では20名近く集まったが、その三分の一以下であった。地元での開催がいかに難しいかを感じました。地元の方は知らない方が集まるところには行きたがらない田舎の精神風土を思う。しかしながら、集まった方々は大いに盛り上がって喜び合った。中には日本語で遠慮もなくベレベラとまくし立てる方もいて、アルトゥーラス氏は迷惑したことだろう。
   ともかくいろいろな方々が集まり、新しい空気をそれぞれが感じていただけたことは確かであった。村の方は村の集まりには絶対に参加するが、知り合いが少ないところ、生活観が違うところに入ることにはよほどの勇気がいるらしい。

少数とはいえこの地区の方が集まったというのは、それこそ写真撮影でこんな見方があったのかと発見したように、多種多様な人々が新しい文化交流を見ていただいたこと自体に意義があったと思う。

振り返り思うのは、私自身写真にそんなに関心があったわけではないが、この写真プロジェクトによって言葉を超えた写真のもつ魅力や人と人を結ぶそうした何かを体感できたということである。 

実はワークショップの前日、アルトゥーラス氏と共に写真撮影をしていただきました。その夕刻、アルトゥーラス氏と話しました。コスモ夢舞台ついて説明しました。私の「この小さな過疎の田舎」という言葉に、「ここはもう小さくありません。私たちも来るし、いろいろなことを行なっているところです。そのプロデユースも素晴らしい」と彼は言っていました。

最後に、EU・ジャパンフェスト日本委員会が期待された地域を巻き込むといった成果はなかったかもしれませんが、私はこのようにして、繰り返しながら地域に異文化、交流の風を流すことができたとに感謝しております。