2009.05.27
縄文土器のモニュメントから
佐藤賢太郎

長岡市のS社会福祉法人から、石による縄文土器モニュメントの制作依頼をいただいた。長岡市や十日町市周辺などでは、火炎土器レプリカがモニュメントとして置かれていることが多いようである。私は材質を赤御影石で制作し、それとは少し違ったモニュメントにしたいと考えた。
 土器の台座はどうするのか、制限のあるなかでいろいろ考えた。
   結局足が4本あるような台座に決まった。しかしその周りはどうするか。現地に赴きオーナー、設計施工者、建築設計担当者と打ち合わせをしている中で、台座はストーンサークルにしてみようと思いついた。
   すると、縄文人はなぜストーンサークルを作ったのか、その背景も知りたくなってきた。しかし恥ずかしながら、書籍に目を通しても今まではっきりしたことは解からなかった。

 小林達雄氏の編纂による「ランドスケープ」を開いてみた。その著書によると、縄文人が一年間の太陽の動きを観察して四季を感じ取っていたらしい。厳しい冬の到来を知り、同時に太陽の陽の暖かさ、山の幸をもたらしてくれる太陽の復活を願って祭りや儀式が行われたかも知れないと言っている。
   また国文学者の細谷藤策氏は方位から見た日神信仰について述べている。富士山をはじめ、なぜ山に登るかと尋ねると「ご来光を仰ぐため」という答えが返ってくる。これが山に対する日本人の信仰であり伝統である。冬至、夏至、春分、秋分の頃の日の入り、日の出の方位に山と遺跡や建造物が建立されていると記している。日神は冬至に向かって衰微する。その復活と、人間の再生と農業、漁業の再生豊饒を祈願したのである。

宮尾亨氏は以下の項目に関して記述している。

環状列石の性格
   環状列石の性格について墓石とする考えもあるが、配石の下には必ずしも墓穴の存在はない。環状列石を構成する配石自体は、墓穴他を記念するモニュメントの性格が強いと考えるほうが妥当であろう、と記している。

環状列石の形成過程
   環状列石は縄文人の文化の一端を示すものであるが、決して短日に形成されたモニュメントではない。環状列石というと完結された円環をイメージするがそうではなく、大別すると大湯の日時計状特殊石組を代表格とする立石を中心に構成される立体的なものと、岩石を敷き詰めるように構成される平板なものに分けられる。

配石相互の相対的な位置関係
   環状列石を構成する各配石の形態や配石相互の位置関係には一定の方向性が意識されている。周囲の山並みなどの関係から理解できる春分、秋分の日の出、日の入り位置に相当する東―西方向や、夏至の日の出位置と冬至の日の入り位置とを結ぶ北東―南西方向、冬至の日出位置と夏至の日の入り位置とを結ぶ南東―北西方向、北極星の位置などで判断できる南―北方向などである。岩石を敷き詰めた平板な配石ではその長軸がこれらの方向に合致している。
   立石を中心に構成される配石では、立石の見通しにこれらの方向が認められる。

ところで環状列石はどこにでもあるわけでない。相応の条件を具えた場所を選んで営まれた行為の結果のようである。