2009.04.26
縄文人と私有地観
佐藤賢太郎

これから述べることは、あくまでも私の勝手な考えであり、考古学的な視点ではありません。

 私は恥ずかしながら縄文を知らなかった頃、豊実のような不便な山の中に縄文人が住んでいるとは想像できなかった。そして雪に閉ざされた生活を体験すると、こんなところに如何して縄文人は住んでいたのだろうと疑問に思った。冬には、きっと暖かい生活のしやすい地域に移動したのかもしれないとさえ思った。

ところが今、縄文人は県外的な移動などせず、雪が多く降る山々や川がある豊実のようなところに住んでいたことを納得している。

動物や人間にとって食を得ることは生命にかかわる最大の関心ごとである。食が豊なところに生き物は生息することは自然の摂理に合致する。つまり豊実のようなところは食が豊であったということなのです。今日、鮭はダムをつくったために川を上がってこないが、山菜は今も豊富である。雪が融けるとフキノトウを食べ、こごみ、たらの芽、こしあぶら、せり、あさつき、と次々に私は天ぷらや酢味噌和えにしていただいている。農薬が一切入っていない自然食である。栽培もしないで春になると自然に芽を出す。それを人間はいただくだけである。こんなにありがたい条件のところに人が住むのは当然です。

ところで山菜ブームを受けてか、車でやすやすと山々に誰でも入れるようになったので、このごろ山菜の山々に「私有地につき入山禁止」と看板が見られるようになった。山は個人のものではない、誰のものでもないから大らかであって欲しいと感じて、嫌だなと思っていた。

ところが都市の方が山菜を根こそぎ持ち去ってしまうから地元の方が困ってそのように書くようです。私の私有地で、以前田圃であったところに蕨が出ます。ところが毎年誰かが採っていました。我家でも和彩館のお客様に出す為、山菜を採りに行くと誰かが入っていた形跡があります。すると、俄然私有権意識が出てきて、ここは我家の私有地と細いくいを昨年立てました。それでも人は入ります。家屋敷の畑なら人は入らないでしょうが、何も作っていない原野のような田圃では仕方のないことでしょうか。

さて、縄文人はおしなべて争いが少ない平和な暮らしをしていたと想像しますが、私有地権という意識があったのだろうか。学術的にも、弥生時代のようなことはなかったとしても、争いはあったと記されています。私は私有地意識があったと思う。だからこそ、勝手に他地域に移動はできなかった。ただ、動物のようにテリトリーがあって、最低限生きる為に分かち合いながら暮らす為の所有権であり、相手を制圧して私有地にする弥生以降の所有権とは違っていたと考えています。

人工的に稲作栽培や畜産もしないで、自然からの頂き物でのみ暮らすには人間が多くなると暮らせなくなるのは当然であったと思われる。しかし、1万年もこの暮らしをしていたのが縄文人であった。