2014.01.09
人間は心で変われるか
佐藤賢太郎

日本人は無宗教の方が多い。無宗教であっても、正月などにはこぞって神社、仏閣にお参りをする。

なぜお参りをするのか? 今年一年健康であること、商売繁盛、五穀豊穣、合格祈願、家庭愛和、病回復などなど、それぞれ身近な人々の幸福を願いお参りをしています。 

賽銭を入れてお参りをしたとしても、確実にその保証はないと知りながら、お参りをするのです。これは安定のためだろうか? それは、未来への明るい希望をもつことが人間には大切だからだと思う。

このお参りは心である。自動販売機のようにお金を入れると選択した飲み物が出るようなものではないが、神様にお願いすることによって、願いがかなうように祈ります。

それは人間の心のもち方である。神も宗教も信じない方でも、お参りをするから不思議である。人間は自分の努力だけで、どうにもならないことを知っているのである。

目標は様々に違いがあっても、生きる未来に希望や夢をもっている方とない方では生きる気力が違うのは確かである。それは精神面というか、心ということになろうと思う。

人間は誰でも生きる希望があると明るくなる。内容は別にしても誰でも希望の持てるような話を聞くと明るくなる。人間という生き物はそのよう創造されているのだろう。

私は宝くじを買うよりも、中繁芳久さんの希望をもてる言葉の方が人間は幸せになる近道ではないかと思える。私はそのシンボルを形に表そうと頭に浮かぶ造形や石によって創らされる造形を彫刻として作っている。これも出会いである。彫刻家となって今日まで、自分らしさを出そうと考え、迷い、いろいろと挑戦して作品を作ってきた。それが、こんな新しい出会いによって、次々と作品を作ることになっている。