2010.01.12
鈴木隆雄

  吉田富久一氏の「地球主義による夢の実現」を読んで感じたこと

  吉田氏がかつて、群馬県高山村の寒村で農耕をアートの基準に据えアートファームの開設を試み、現地と都市との交流を行い、豊穣を分かち合うプログラムを立ち上げた。その苦節の貴重な体験を提示していただきました。
 吉田富久一氏のアートファームと、コスモ夢舞台の違いについて考えてみました。 

 私たち、“佐藤賢太郎とコスモ夢舞台”の成立は、佐藤氏が若いころ教職にあるときから30年来の仲間が数名在り、徐々にその仲間が増え核となり、今日のコスモ夢舞台が在る。当初大上段に理想を掲げて、アート、農、地域おこしを唱えたわけではなかった。阿賀町豊実は過疎の村ではあるが、佐藤氏の地所には素晴らしい自然の景観があり、その自然の中に関東近県から仲間が集い、それぞれが今ある生活の夢や理想を語り合い、エネルギーを充電しては現実の生活への活力としていた。

 13年前、佐藤氏の実家豊実に仲間の集う場作りに、馬取川沿いに杉の木立をそのまま柱に利用した東屋を、私たちふくろう会という素人集団が造った自信を得、それから次々と廃屋や納屋をリフォームして今のコスモ夢舞台となるベースを構築した。そこから“コスモ夢舞台”というグループの明確な形ができた。

 コスモ夢舞台の活動内容をその都度リーダーの佐藤氏が発想し、提案し、共通認識の下に一歩々進めてきた。佐藤氏の“里山にアートを”をテコとした地域住民、都市との交流により村の活性化を図りたいとの思いが膨らむと共に、食・農、ホタルやメダカの生息環境を取り戻すためのビオトープづくりと、農耕や景観づくりへと発展してきた。

 佐藤氏の芸術活動の拠点は、埼玉県蓮田市にあった。何れは郷里の豊実に帰らなければならない、蓮田市を拠点に培ってきた人間関係のネットワークや作品の制作、個展の利便性等いろいろ考えた末、決意して4年前郷里に帰った。

すでに郷里には、ふくろう会の仲間と築き上げたベースが構築されていたので、郷里の自然の中で、彫刻作品の制作や将来の構想を存分に発想し実践してきたのである。「里山アート展」は6回を数え、奥阿賀音楽祭を独自の構想を踏まえ、より地域の人たちの交流の場としてのねらいのもと、「奥阿賀・田んぼ夢舞台祭り」を去年から里山アート展の開催に合わせて実施した。各種シンポジュームの開催など、過疎の村に人々の交流の場をつくってきた。

また、EUジャパンフェストとの出会いを得て、2006年にはギリシャでの彫刻制作、2009年には欧州の写真家による写真展の開催、エストニアから来日したエレルへイン少女合唱団と、阿賀町豊実は国際色に彩られた。

 振り返って、コスモ夢舞台というボランティア集団が、これだけの事業を成し遂げられたのは、リーダーの理想と信念が“ぶれない”ところにある。そして、会員もリーダーの理想を共有し、共に額に汗して労働やものづくりを厭わず実践してきたからである。

 これから10年先、吉田氏の『過疎問題―後継者と産業』を考えるとき、過疎で高齢化がさらに進み、私たちも確実に高齢者となって行く。リーダーである佐藤賢太郎氏がどのような想いをめぐらし夢の実現へ向かって行くのか、可能な限りコスモ夢舞台の一員として見守って行きたい。