2011.06.17
再び震災地へ
佐藤賢太郎

4月24日石巻、東松島に会員3人で支援に参りましたが、6月16日再度、松島市に支援物資、衣装ケースや時計を買い揃え、また友人からいただいた衣類、食器などを家内とともにトラックに満載にして運びました。

また、この日は賛助会員である坂下町の吉良さんも同じ時間に東松島に別の車で向かいました。彼女はコンサートの手伝いのためでした。

 前回との違いは、まず東北道の交通量の多さです。まるで東名高速道路のようで驚きました。朝4時に出て、8時30分には現地東松島に到着しました。グリーンツーリズムで知り合った大江公子さんが迎えてくださいました。そして、避難所で責任者の菅原節郎さんと再会し、笑顔でお互い固い握手をしました。

 武道館に畳を敷いて20人ほどの人びとが生活しておりました。勿論、仕切りも何もなくプライバシーはありません。宮崎のケイコさんは何日もここで一緒に過ごしていたのかと思うとケイコさんのすごい行動力に感心しました。

早速、皆さんで車から荷物を降ろしました。その後で、大江さんは私の紹介をして下さいました。私は皆さんにお話をしたいと申し出て、それぞれの場所で聞いていただきました。この震災を通して皆さんが辛い環境で生活しているわけですが、「私は人間関係のつながりがいかに大切かを感じます。もし私が大江さんと知り合いになっていなかったら、私はここには来なかったかもしれません。そして菅原さんと知り合い、これから後々も付き合おうと思うようになりました」と申しました。

大江さんは、私を金持ちでも健康体でもない方ですと紹介されました。そこで私は、石彫刻作家の生活やガンのことも正直に話しました。

「私は仲間と作った、われわれが現代の桃源郷と呼ぶコスモ夢舞台で毎日生活しています。そしてここに来ようという元気もあります。人間、無になったときはダメではなく、新しい生き方ができるチャンスでもあります。そして人生には生き方の選択をしなければならない時もあると思います。時間の都合が付くようでしたら、ぜひコスモ夢舞台にお出でいただきたいと思っております」と申しました。

午後に伺う予定の石巻の高橋さんとの約束までまだ間がありましたので、吉良さんが手伝いをする小学校のコンサートに参りました。神奈川在住のマリンバ演奏者松本律子さんが準備をされていました。マリンバとは木琴の大きなものです。組み立てて運ぶのは重労働です。体育館で吉良さんや大江さんが手伝っておりました。

 いよいよマリンバ演奏会です。子供の素直な笑顔を見ているととても嬉しくなりました。この児童の半分は被災にあっているそうです。司会をされている先生は、家族お二人を亡くされたそうです。家が浸水して大変な状態の先生もいました。そんな中で明るく演奏される松本さん、子供たちと笑顔で一体となっていました。家庭に帰れば児童は現実が待っているのに、こうしたコンサートで笑顔を取り戻せる子供たちも素晴らしいと思いました。演奏会が終わり、松本さんだけでなく私も校長室に招待されました。

食事は大江さん宅で娘さんと一緒に私たちもいただきました。

何か役に立ちたいと言って、ボランティアで相模原から参加して行動される松本さんも素晴らしい方です。それをつないでくださった吉良さん、そして学校とつないでくださる大江さん、それぞれに何か役に立ちたいと思ったら行動する素晴らしい人たちです。

そして、宮崎に帰りましたケイコさんか震災を縁に、わざわざ声を聞きたいと電話をいただきました。こうした人間関係に巡り合えたことに仕合わせを感じました。

 吉良さんの話では、福島県は風評被害で野菜が売れないところを会津から毎日経団連が援助して野菜を買い上げ、岩手県の東野に集め、被災地に送っているそうです。何らかの形で橋渡し役になっているのが吉良さんのようです。

やはり、ただ思っているだけではどうにもならない。行動する人間、顔の見える人間がいることで全てが動き出すのだと学びました。

私たちは食事を済ませ石巻に向かい、我が家でお世話をしたいと高橋さん家族と高橋善美さんにお話をしてきました。高橋善美さんは生死の真っただ中にありながら、笑顔で生きる希望を見つけ、生き方を選択されていました。人間希望や夢を持つことが生命を蘇生させるとお互いに話し合いました。

家内は、被災現場を見ていないためか運送屋さんみたいというので仙台の海辺を高速道路で走り、その惨状を見せました。写真を撮るかと聞くと、テレビの画面で十分と言いました。

 日帰りの強行軍で、我が家には夜到着しました。少々疲れましたが、素晴らしい人びとにも出会い、あらためて当たり前のことが、どれだけ恵まれていることかを知る貴重な体験となりました。