2013.03.10
「ぼくが百姓になった理由」を読んで
佐藤賢太郎

 喜多方大使の任命をいただきまして良かったと思えることがあります。喜多方市の歴史、そして何よりも人の繋がりというもの頂いたことです。私は山都の高橋支所長さんに喜多方大使シンポジウムお礼に手紙を出したところ、浅見彰宏さんが書かれた「ぼくが百姓になった理由」という本を送ってくださいました。浅見彰宏さんは現在44歳ですが、大学卒業後商社マンになり、その生き方に疑問をもち埼玉県の小川町で農業研修し、やがて山奥の会津、喜多方市山都に移住し、有機農業をしている方でした。いわゆるIターンです。よりによって田んぼで米を作るには条件の悪い、雪深く日照条件の悪い山間地で農業をしようと決めました。大型機械を使わない農業は自分に適している所と言っています。

この本をさっと読み終えて、浅見さんは見識があり、自然環境や日本の農業をみすえた、しっかりした考えの方であり、しかも地に着いた実践をされていることを深く感銘いたしました。単なる農業への憧れでなく、なぜ有機農法をしているかも含めてしっかりとしたビジョンを持っていることです。しかも退職後快適な暮らしをしたい、というような考えでなく、この山間地で共に生きようとするスタイルである。また原発事故の風評被害をどのように克服するその実践も素晴らしいと思った。地域と一体にならなければ米つくりもできないと、ボランティアの呼びかけなど人に繋がりをパワフルに活動される素晴らしさも感じました。

私は無農薬米つくり3反と少し無農薬野菜を作り和彩館という農家レストラン兼宿を家内と共に動かしています。浅見さんとは農業に対しては大きく違いますが、その考え方には賞賛したしました。

私は30年以上関東で彫刻家として活動をしてまいりました。その間、仲間と憩いの東屋をつくろうと、わたくしの郷里に仲間とともに関東から通いながら夢作り始めました。あれから17年たって今はNPOコスモ夢舞台という組織を立ち上げました。

私は2006年過疎郷里にUターンしました。そこで夢をつくろうとしたのがコスモ夢舞台でした。地元の人材との繋がりでなく、都会で繋がった仲間によって、夢つくりに向かって次々とリホームし、ついに8つの施設を作りました。それから地域の景観つくり、収穫の終わった田んぼで里山アート展開催、田んぼ夢舞台祭りなどにベント開催、さらに田んぼ公園化に進みました。

様々な助成金によって一歩一歩進み、里山アート展は今年で10年目になります。

私は浅見さんとは違いこの地元生まれでありましたが、私の行動に対し中には、当初地元の方は受け入れがたいようであったと感じています。17年たちます。その風も変わってきたようです。マスコミは毎年のように取り上げてくださいます。

おりしもEU・ジャパンフェスト日本委員会の紹介で千葉に住んでいる農業を自分の生きる道として大阪から移住して千葉に住み無農薬栽培をしている磨家さんと出会った。更に若い方がこれから農業で生活しようとするにもこの方々に紹介したいと思った。

この3月24日浅見さんと会う段取りを山都支所長さんがしてくださいます。こんな田舎に生きることに夢をもっている方と出会えることは嬉しいことであります。先は解りませんがコスモ夢舞台も見て頂きたいと思っています。できるならフォーラムなどで話を聞きたいとも思いました。