2013.02.23
喜多方大使シンポジウム参加
佐藤賢太郎 

喜多方大使に任命されている私は、2月22,23日喜多方市に出向いた。名誉職のように甘んじ、喜多方市内の名所をめぐりや、言いたいことを言うだけで、何もしなければ、何の役にも立たないので大使を辞めようかとの思いもあった。

私は直した。自分の今の実践を語る機会としようと思った。三度目のギリシャ行きの夢や横浜での講演について話をしよう、そう思って参加することにした。地域おこしでも最後は夢をもつ人が地元にいること、そして人の繋がりができるか。 

この原稿は、温泉旅館に泊まった私は午前2時30分頃目が覚めこれは天の命と思い書きました。

シンポジウムが終わり、会食の席で情報交換が行われました。私の右隣は79歳の医師である大学の名誉教授、目の前がNHKエンタープライズ世界遺産事務局長、左隣が喜多方商工会会頭さん、皆さんとは初対面のようなものでした。

先ず右隣の先生に、「釈迦に説法ですが、私はこうした宴会にも玄米おにぎり、自分のお茶持参で参加しています。先生には失礼ですが、医師の言うことを聞かないでガンを治そうとしています」と言いました。和やかな会話であった。しばらくすると、左隣の地元の有力者である商工会会頭さんが話しかけてくださった。会頭さんは、つくり酒屋さんの社長でもありますが「彫刻だけで食べてゆく人はほんの少しだけでしょ」と言った。私はすかさず「よく御存じですね」と返答した。そして、津川の狐の嫁入り屋敷の彫刻をご存知のようだったので、私の作品ですとも言った。 

話は盛り上がり私の人生論を話した。私は「優秀な大学生でもなく有名人でもありません。しかし過疎地に夢をつくろうと、仲間とやってきました」。そしてギリシャでの話をしました。「さらに、ガンにもなりましたが、それも克服しようとしています」と言った。  

生きているときに、名誉とかお金ではなく、どれだけ感動し合う人と出会いがあるか、それが人生の充実だと思う。私は誰かれ構わず、ずうずうしくこのように言っています。会頭は「今こうしてあなたと会えて話ができることが感動だよ。体験をもとに語る、それがいい。ロータリークラブの人に聞いてほしいな」と言ってくださった。

今までは人の分まで食べるような美味しそうな霜降り牛の肉を私は、会頭にさし上げました。酒の席とは言え、和気藹々にしてこうしてまた新たな知り合いができました。 

世界遺産のNHKエンタープライズ事務局長は社会的に影響力のある方らしく、一目置かれているようです。私は「7月に日本橋島屋で個展がありますので、案内状を出させていただきます」と言った。

議長さんには「ガンになったら、大変なお役の議長なんかやめることが大事です、命あっての人生です。」と言うと「そうすると」言ってくださいました。

市長さんには「私がギリシャに再度行くことになったら、応援してください、喜多方市のためになります」と申し上げた。

 翌日喜多方の歴史をひもとく歴史の講義を受けることになった。講師の方は「私は学もなく山師,鉱山で働いていました。」と謙遜される佐藤一男さんという方であった。喜多方市よりも塩川町が先に栄えていたという歴史に触れてくださった。鉱山がいかに繁栄の決め手になっていたかを話され、真実の記録の消失についても触れてくださいまして、感動しました。 

私は、この方にコスモ夢舞台のフォーラムに登場していただこうと考えました。

その他工芸文化を語る方とも出合いました。きっとその方とも今年、再会します。私は、今回参加して本当に良かったと思いました。