2015.09.03
思い出の高校に行く
佐藤賢太郎

 私が大学を卒業して初めて赴任した高校が、さいたま市の小松原高校であった。その高校が移設され、その跡地がマンションになるそうです。9月2日(火)家内とトラックで高校の正門に立った時、当時の建物は跡形もなくなり解体されていた。

 ところで私は、その高校を退職し彫刻家に転職した。その後、同僚であった森英夫さんが彫刻家になった私のために、卒業記念係りとして私の彫刻設置を進めてくださった。当時、高校の創設者兼理事長で校長であった小松原賢譽さんが、特別に私の作品設置を認めてくださった。それを繋いでくれたのは教諭の森英夫さんであった。緊張しながら、校長先生に彫刻設置をお願いしたことを思い出します。

 その彫刻だけが解体されず跡地に残っていた。解体業者もただの石ではなく、困っていたかもしれない。そんな中、森英夫さんは思い出の彫刻がどこかに消えてしまうのは忍びないと、私に相談してきた。そこで、私たちの思い出の彫刻を「ひでおの想い」という作品名で里山アート展に出品しようということになった。

コスモ夢舞台のメンバーでは、そのほかに鈴木隆雄さん、大塚秀夫さんが同僚で、私たち4人にとって深い思い出の彫刻であった。放っておけばどこかに埋められていたかもしれないなんて、もったいないそのものです。これで、私たちはいつまでも見続けることができるし、小松原高校に関係した方もいつでも見ることができます。

解体業者は親切に私の車に積んでくださった。これをすべて運送業者に任せたら高額になっていたと思います。有難かった。

 その後、森紘一さんが横浜から、萩谷さんは浦和から駆けつけてくださって里山アート展の話し合いをした。こんな仲間を持っていることは嬉しいことであった。

打ち合わせ後、2トン満載で車はいつものようにスピードも出せず一路豊実に向かった。ついたころには真っ暗になっていた。車には重くてかわいそうだったが一晩頑張ってもらい、翌朝、家内と作品をトラックから降ろした。それは簡単な作業ではなかった。

 作品「ひでおの想い」が里山アート展に展示されるとき、誰もが目をひかれるだろう。そして周囲に反響は少なからずあると思う。見えてはいるが、その背景は目に見えにくい作品の一つかもしれない。メンテナンスはするが、設置は英夫さんの仕事に取っておきます。とても楽しみです。