2012.03.05
雄飛航空の安全文化
藤間七郎

 「難は変革想像の時」と佐藤さん熱いメッセージでスタート切られた今年の個展。生命力あふれる数々の作品と佐藤さんご本人からたくさんの「生きる力」をいただいたような気がいたします。

数十年ぶり大雪に見舞われ多くの施設の雪下ろしに追われながら創作活動に佐藤さんが励んでおられた、ちょうどそのころ、雄飛航空では3年に一回、監督官庁である国交省によって行われる航空安全監査の準備しておりました。3人の監査官が入られ、その結果次第では業務停止もあり得るという重大事監査だけに全社員、不安と緊張一杯で監査当日を迎えました。しかし大きな指摘事項も受けることなく無事、終えることができました。ある監察官よりは「認定事業の基準同等、中にはそれを超えるものも見受けられました」といううれしいコメントもいただくことができました。社員一同安堵しましたとともに航空事業への更なる励みとさせていただいたものです。

実は雄飛航空の安全文化のつくりには佐藤さんの作品も貢献していただいています。8年前、私の大事な教え子を航空事故で亡くし大きく沈み込んでいり時にマラソンの瀬古監督がやはり教え子を事故で失い、その慰霊碑を佐藤さんが作られた話を思い出し佐藤さんに相談させてもらいました。佐藤さんは快く引き受けてくださり慰霊碑建立にいたりました。モニュメントの表面にはこれからの雄飛航空の再生を願い「黎明」と佐藤さんが刻んでくださり、私は側面に事故の詳細と「安全に優る優先はない」という安全標語を刻みました。設置場所はヘリポートの入り口でかつヘリコプターが離着陸すると必ず目に止まるところにしました。

以来飛行前は今日の安全を誓い、飛行後は今日の無事を感謝で慰霊碑に手を合わせることが習慣となりました。又、会社の主たる行事のほとんどこの慰霊碑を前に黙祷をすることからはじめ、当然、事故当日同時刻は全社員が慰霊碑の前で整列し故人に飛行安全を誓い、その後、安全会議に入ることを恒例にしております。

航空機が発明されて以来、航空事故を無くすということに航空業界は全力で取り組んでまいりました。そのために多くの予算をかけ多くの教育時間を費やして参りました。ところが近年はただ単に安全予算確保、訓練時間増、労働環境の改善等々だけでは必ずしも事故撲滅には繋がらないのではという意見も一方で聞きかれるようになってきました。つまりその会社の安全文化というものが存在しているか否かにあることが問われてきております。

幸か不幸か私の会社には8年前の事故を喚起する環境があります、それこそ佐藤さんが作られた慰霊碑であり、そこに手を合わせ一日のスタートを切る習慣、文化が備わっております。それが事故防止につながり、かつ監督官庁の評価もいただいているのではないかと思ってやみません。

「難は変革創造の時」「困難に直面したときこそ自己変革、創造のチャンス」とおっしゃれる佐藤さん。思えば8年前のこの私の難をおざなりにスタートしていれば又同じことを繰り返していた自分ではなかろうかと思いますとき佐藤さんとの出会いに感謝です。

私は50年以上も乗客の犠牲者を出していないK航空会社を目標にして今航空事業を運営しております。それほどサービスがよいわけでもなく料金も安いわけでもないのに非常に人気があります、その理由こそ安全運航であり、それをセールスターゲットにして業績を伸ばして業界の注目をあびています。その会社のルーツをたどると創業時に一回社内事故をおこしているようです。しかし、その事故を忘れ去るのでなく全社員が大事な教訓として胸に抱き、続けることで安全文化が植えついているのだろうと思います。

私どもの業界も昨今の経済状態一つとっても厳しいものあり楽観はできません。まさしく佐藤さんの言っておられるとおり難のときでありピンチのときであります。そんな時代だからこそ、社員一人一人に伝えたいと思っていることがあります。航空会社が生き残るには3つの慣行一つは「無事故の継続」二つ目は「事業の自己開発」三つ目は「自力運営」だといっております。過去40年事故、価格競争、そして依存体質(大手、官庁などに)により多くの会社が消え、再編されてきた現状を私は目の当たりにし、強く感じているのです。つまりそこに存在するのは佐藤さんおっしゃっている「創造」でありそれにつながる考え方、文化であると思えてなりません。

ある方が「純粋に夢と希望追うものには時には奇跡のようなこともおこりうるのです」と仰っておりましたが佐藤さんの生き方よりそれを身近にでき見本として追えることが感謝です。佐藤さんありがとうございます、そして個展お疲れ様でした。