2017.01.20
「陽炎」を読んで
佐藤賢太郎 

会員の栗原勝さんが書いた厚い一冊の「陽炎」という小説が送られてきました。私が受け取ったのは、これで2冊目です。栗原さんはかつて、中学校の教師として私と同じ中学校に勤めておりました。その間、印象深いことも数々あります。彼も後に、中学校の教師を辞め、今では大学の講師をしています。深夜この小説を書くことが楽しみであるように云っておりました。 

さて、私は久しぶりに小説に目を通します。最近は読んだことがありません。若いころ夏目漱石などの名作を読み、芥川賞受賞作品なども読んでいた。しかし最近は全然読まない状態です。そんなわけで、「陽炎」もはじめはなかなか前に進まないのでした。

第一印象ですが、登場人物が多くて理解するのに苦労しました。小説を書くということは、語彙も多くなくてはなりませんが、勿論いろんなことを想像し、経験を深めなければ書けないことが解ります。それに内容の前後関係が繋がるようにしなければなりません。つまり、私のような思いつくままに書いた紀行文ではなく、栗原さんのような小説を書くには、感性や才能が必要だと思いました。そして作家が何に焦点を当てているか、何を言いたいのか、明快に伝えなければならないと思います。作家の登竜門かもしれませんが、毎年発表される芥川賞、直木賞受賞作家がすべていいとは思わない。なぜなら、その作家の人間的な印象からの好き嫌いもあります。 

さて栗原さんの小説は、あるデパートの一幕からです。そして、そこに登場する女性が離婚することから生きることを考えます。

ここまで書いて、ふと思った。今日、読書離れが云々されていますが、NHKの朝ドラは多くの方が見ている。本をテレビにしたら理解が簡単です。しかし読書は難しい。それだけにテレビを見て、その世界に入ることはとっても楽である。テレビは読書に比べ、楽でありますが、補えない点もあると思いました。

終わりの文章にこんなことが書かれていた。「人間の場合、ケースを選ぶということは、どんな人生を選択するかってことですよね」「自分の本当にやりたいことをとことん追い求めたいです。自分のすべてをかけて」。栗原さんには見当違いだと言われるかもしれませんが、私はこれを焦点にしたのかと読み終えました。