2008.2.1
豊実の葬儀
森紘一

 1月29日(火)早朝に、佐藤賢太郎さんのお父上(忠市さん88歳)がご逝去された。東京ブロックの例会で、森幹事長からコスモ夢舞台の年間予定や豊実の状況が報告された一週間後だった。急きょ、葬儀の準備が始まった様子で、豊実の賢太郎さんにお悔やみを述べるケータイのやりとりもあわただしかった。31日(木)午前10時からの告別式を確認後、少人数ながらふくろう会の仲間も駆けつけることになった。

 新潟経由で磐越西線に乗り換え、合流した渡辺さんと豊実に着いたのは11時近かった。駅前の国道は除雪されていたが、小雪の舞い散る中を、すでに夜行を乗り継いで到着していた桐山さんが出迎えてくれた。告別式の読経とお焼香は終わって、ひきつづき休憩後から初七日の法要が始まるという。                              
  母屋を覗くと、賢太郎さんとマキ子さんの背中が見え、お母さんの横顔も覗いた。大野さんと加藤さんご夫妻、藤野さんの顔もあった。
  鹿瀬からおみえいただいたというお導師様の鄭重な読経と明瞭な説話は、ご当地における佐藤家の代々を語りあかしてくれた。なるほど、ご先祖様あっての佐藤家であり、その系脈での「佐藤賢太郎とコスモ夢舞台」であることを再認識する思いだった。

こちらでは、仏様は告別式の前に荼毘に付されるそうで、いち早くクルマで駆けつけた大野さんは、津川の火葬場にも行かれたという。また、昨夜は通夜の席で、ご親族や地元の方々とふくろう会やコスモ夢舞台も話題になったそうである。大野さんと加藤さんも大いに語り、皆さんからあたたかい激励を受けたそうだ。

お清めの席は、お向かいの伊藤屋さんに用意されていた。2階の大広間は、ご親族や地元の方々、我われも含めて60名以上だった。澤野県議会議員も顔を出されていた。里山アート展で、いつもお世話になる地元の方々にもご挨拶することができた。
   疲れた様子も見せず、席を回る賢太郎さんとマキ子さん、お母さんの気丈夫さには感心してしまう。 

皆さんがお帰りになった後、再び母屋の仏前に集まって、ご親族と地元の方々によるお念仏がはじまった。「会津33か所巡り」と書かれた御詠歌集の唱和だった。かつて、この地が会津藩であった伝承文化の名残であろうか。鉦の音に合わせてくぐもるような唱和は、まさに鎮魂歌に聞こえた。午後3時、外は吹雪いてきた。大野さんのクルマで、我われは一足お先に失礼することにした。(終)